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栃木旅:宇都宮の由来は二荒山神社?

栃木県の宇都宮に出張に行ったついでに、二荒山神社に参拝してきました!

 

目次

 

宇都宮の由来は?

宇都宮の名称は下野の第1の神社の意味である一ノ宮が訛って「宇都宮」と言われるようになった説が有力視されているようです。

上代には池辺郷の鏡ヶ池畔には地の神を祀る社が建てられ、平安時代後期にはこれを「宇豆宮」「宇都宮明神」として祭祀し、鎌倉時代から戦国時代にかけてはこの神領を預かった神職家で北面武士でもあった一族が宇都宮氏を名乗り鎌倉御家人として宇都宮城を拠点とした。

Wikipediaより

 

ニ荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)とは?

宇都宮の由来となったとされる神社が二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)です。

 

社 号:二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)

 旧 称:宇都宮大明神

 御祭神:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)  

創 建:(伝)仁徳天皇41年

 社 格: 式内社名神大)論社 

     下野国一宮

     旧国幣中社

例 祭:10月21日

鎮座地: 栃木県宇都宮市馬場通り一丁目1番1号

現在の宇都宮市街は北の二荒山神社宇都宮城址公園の間に広がる付近を中心に形成されています。

二荒山神社主祭神豊城入彦命 (とよきいりひこのみこと)です。 第10代崇神天皇の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮めたとされ、毛野国(のちの下野国上野国)の開祖とされる人物です。

 

二荒山神社の歴史

二荒山神社の歴史は古く、『延喜式神名帳』には名神大社として「下野国河内郡 二荒山神社」の記載があることから927年にはすでに存在していたことがわかります。

社伝では、仁徳天皇41年に毛野国下野国上野国に分けられた際、下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が曽祖父・豊城入彦命をこの地域の氏神として祀ったのに始まると伝える。ただし、それ以前に豊城入彦命によって三輪山から勧請された大物主命が祀られていたとも伝えられている。地元では、当社に参拝すれば下野国にある全ての神社の御利益を受けられるとされ、人々の信仰を集めた。Wikipediaより

 

社伝では上のように奈良別王が祖先の豊城入彦命を祀ったとありますが、江戸期には日光山大明神と称され、天保14年(1843)には大己貴命事代主命、健御名方命が祭神だったようです。

 

奈良別王が下野国国造に任じられたという伝承は『先代旧事本紀 国造本紀』と一致しており、明治時代に豊城入彦を祭神とした時に引用したのかもしれません。

 

どちらも正しいとすれば下のような流れでしょうか。

豊城入彦命がこの地に来て三輪山の大物主を祀った。②豊城入彦命の子孫の奈良別王がこの地に来て豊城入彦命をまつった

 

奈良別は豊城入彦の4世孫とする説と6世孫とする説があり、第16代仁徳天皇の時代(4世紀中旬-5世紀前半)だったのか、それより後のことだったのかはわかりません。 

奈良別の家系図

個人的には豊城入彦の6世孫で4世紀後半から5世紀あたりで活躍した人物ではないかと考えています、

 

奈良別が眠る古墳は埼玉県にある?

二荒山神社を参拝

JR宇都宮駅から徒歩10分

商店街の延長線上にある大きな鳥居が目印です。

立派な鳥居です。 

戦時中に空襲で焼失して戦後建てたものだそうです。

標高135mの山の上に鎮座しています。古墳かと疑いましたが湧水もあり自然の地形のようです。

本殿まで続く階段。神社で汗を流すの気持ちい。

藤原秀郷源義家、頼朝、徳川家康など名だたる武士たちが信仰しています。

 

武士の信仰の名残なのか江戸時代までは「宇都宮大明神」と呼ばれてたようですね。

山頂からの景色。奈良別命はここから国見をしていたのでしょうか。

境内も広い。

拝殿。

本殿は神明造です。

歴史ある神社は湧水が出るところに作られることが多いですね。

 

 

帰りに宇都宮駅の中にある「宇都宮みんみん」に初訪問! 宇都宮の餃子なめてました!うまい!

 

水餃子なのにジューシーだったのが忘れられません!!

お土産に冷凍餃子を購入しました。

 

まとめ

・宇都宮の由来は一宮(いちのみや)かもしれない。

・一宮は二荒山神社のことである。

二荒山神社は初代下野国造の奈良別と縁が深い。

鎌倉時代神職として派遣された武士が宇都宮氏と名乗った。