札幌市に上毛野田道命(かみつけのたみちのみこと)を祀る神社があると聞いて、北海道札幌市豊平区にある豊平神社に行ってきました!
上毛野田道命の時代
目次
豊平神社に参拝
豊平神社(北海道札幌市豊平区)
社 号:豊平神社(とよひらじんじゃ)
御祭神:上毛野田道命(かみつけのたみちのみこと)
社 格: 旧郷社
例 祭:7月15日
鎮座地: 北海道札幌市豊平区豊平4条13丁目1番18号
国道36号沿いに鎮座する豊平神社の鳥居。鳥居を潜って中に駐車可能。
手水舎に花手水(はなちょうず)が。素敵です。
神明造(しんめいづくり)北海道の神社は明治以降に作られたものが多く神明造が多いです。
拝殿のは千木(ちぎ)は外削ぎなので男神ですね。
ハルニレの木。神社が鎮座する以前からあるので樹齢140年以上。
豊平神社は上毛野田道命(かみつけのたみちのみこと)を祀っています。
上毛野田道命といえば、朝鮮半島への出兵や蝦夷との戦いの記録が『日本書紀』にある上毛野国(現在の群馬県)出身の人物です。
一体なぜ遠く離れた北海道の地で上毛野田道命が祀られているのでしょうか?
上毛野田道命(かみつけのたみちのみこと)とは?
1873年(明治6年)に発行開始された国立銀行紙幣に描かれた上毛野田道
上毛野田道命とは古代、群馬県と栃木県が毛野国という一つの国だった頃、毛野国の礎を作った豊城入彦命の末裔(5世孫)です。(詳しくは↓)
上毛野田道の系図
『日本書紀』によれば第16代仁徳天皇即位後53年に朝廷は荒田別の子、竹葉瀬(たかはせ、たきはせ)と弟の「田道」を新羅(しらぎ)に派遣した、田道は新羅から多くの人民を連れ帰った。とあります。
新羅(前57年 - 935年)
群馬県に渡来人にまつわる地名が多いのは田道が朝鮮半島からの帰化人を多く迎え入れた事に由来すると唱える人もいるようです。(詳しくはこちら)
その後仁徳天皇即位後55年に蝦夷(えみし)が反乱を起こしたので田道が派遣される記事があります。敗れて伊峙水門(いしのみと)で戦死したとあります。
開拓の神となった上毛野田道命
上毛野田道命と蛇を描いた御朱印
蝦夷を討伐するために北方へ派遣された田道は、後に北海道や東北にて、開拓神として信仰されるようになります。
豊平神社には次の社伝が伝わっています。
上毛野田道命は、第10代崇神天皇の皇子豊城入彦命より五代目の子孫にして東北地方の守護神として厚く崇敬せられ、特に延歴年間征夷大将軍坂上田村麻呂が奥羽地方平定に向かわれた時、田道命の神霊の御加護によりこれを平定することができ、後に今の青森県南津軽郡猿賀山に神霊を観請して社殿を建立したもので、猿賀神社は当神社の本社に当たる。 『日本書紀』によれば田道命は「仁徳天皇五十五年(西暦三六七年)勅命を受けて北夷の反乱平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって平定した」とある。 又社伝によれば「五十六年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化 して毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。 その後、二百年の星霜を経て、欽明天皇二十八年(五六七年)に大洪水あり。この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を舟として流れにしたがい、当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉て古木(鍋木)の洞穴に祀る」と、云われている。 当地域は東北地方移住者多く、それゆえに故郷の氏神様をお祀りしたものである。青森県よりの移住者阿部仁太郎によって郷里の猿賀神社から合祀された。
つまり、蝦夷との戦いで命を落とした後、蝦夷達から恐れられ祀られる様になったということですね。
田道が大蛇になったという伝説にもあるように東北地方は蛇にまつわる伝説が多いです。ねぶた祭りの八太郎も然り。
上毛野国(群馬県)の人物が東北の守り神となり、青森県からの移民によって北海道の豊平神社で祀られる。歴史の繋がりはおもしろい!!