『逃げ上手の若君』1巻より
今回は『逃げ上手の若君』第二話に登場した敵、小笠原貞宗(おがさわらさだむね)を深掘りしていきます。
※『逃げ上手の若君』第二巻のネタバレを含みます。
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)の時代
目次
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)とは?
『逃げ上手の若君』2巻より
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は、鎌倉時代後期から室町時代前期に実在した武将です。
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は信濃小笠原氏の当主として生まれました。
小笠原氏の家系図
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)が生まれた小笠原氏は源氏(甲斐源氏)の末裔で源平合戦の際に源頼朝に味方した恩賞として、甲斐国(かいのくに)小笠原を与えられ、地名から小笠原氏と名乗ったことが始まりです。
『逃げ上手の若君』1巻より
信濃国松尾(現在の長野県飯田市)に生まれた小笠原貞宗(おがさわらさだむね)当初は鎌倉幕府に仕えていましたが、足利高氏が挙兵するとそれに従い鎌倉幕府を攻撃しました。
『逃げ上手の若君』1巻より
この功績から、※信濃国の守護(信濃守守護)に任命されています。
※守護とは:鎌倉・室町時代の職名。各国の警備、治安維持に当たったが、後に強大となり領主化した。
視力がいい?弓の名手?
『逃げ上手の若君』では小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は千里眼を持つ弓の名手として登場します。
実在の小笠原貞宗(おがさわらさだむね)も弓の名手だった可能性があるようです。
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)の先祖である小笠原長清は源頼朝の弓の師であったといわれています。
子孫の小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は後醍醐天皇の弓矢の師となり小笠原長清以来の弓馬術や礼法を小笠原流として完成させたとも言われています。
ただし、この辺りの情報に関する資料は見つかっておらず、後世の創作とも考えられます。
弓の名手のイメージから視力が優れてるキャラクターとして描かれているのでしょうか。
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)の死因は?
後に後醍醐天皇と足利尊氏が対立して南北朝時代に突入しますが、小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は一貫して足利尊氏に味方します。
1347年7月5日(旧暦で貞和3年5月26日)に小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は京都で没します。
死因はわかっていませんが、観応の擾乱(足利尊氏と直義の対立)が本格化する前に亡くなったということですね。
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)の末裔は?
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)の末裔は後の歴史にも登場します。
戦国時代には子孫の小笠原長時が武田信玄に敗れて信濃の領地を奪われています。小笠原長時は豊臣秀吉によって讃岐を与えられますが、後に怒りをかって改易されてしまいます。
その後徳川家康の家臣となったので譜代大名となり、明治維新後は華族となって存続しています。
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