今回の記事では、「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」という故事成語の由来となった中国、春秋戦国時代の呉と越の戦いをまとめていきます。
呉越同舟とは?

まずは、呉越同舟の意味を確認しますと、「仲の悪い者同士が一所にいる、または共通の目標で協力すること。」とあります。
故事成語からも、呉と越の国は非常に仲が悪い国であった事が予想されます。
実際にはいつ、どのような戦いを繰り広げていたのか、フォーカスしていきましょう。
呉とは?
呉が建国されたのは、殷王朝の頃(紀元前1600〜紀元前1046年)です。殷の支配下であった周の国を治めていた父、古公亶父(ここうたんぽ)が末弟の季歴に皇位を譲りたい意を汲んで、 長男の太伯(たいはく)が未蛮族の地である呉に移り、句呉を建国したことが始まりといわれています。

呉の6代王である闔閭(こうりょ)の時代になると、有能な軍師を抱えた事で呉の国力は充実していきます。

その軍師の名を伍子胥(ごししょ)と言い、代々楚の国に仕えてきた家柄でしたが、楚王に父と兄を処刑された恨みから、いつか楚に復讐したいと呉に流れてきた人物でした。


伍子胥の活躍もあり、超大国であった楚と何度も対決した呉は、遂に闔閭9年(紀元前506年)の柏挙(はくきょ)の戦いで、楚の首都の郢(えい)を陥落させるという大戦果を挙げるのです。

勢いに乗っていた呉軍でしたが、遠征中になんと、本国の呉が南の越王の允常(いんじょう)に攻められているという情報が入ってきます。
ここまで来ておいて成果を得られずに帰るわけにはいかない…と呉王闔閭(こうりょ)が決断できずにいると、今度は楚軍が秦軍の援軍を率いてきたり、闔閭(こうりょ)の弟が呉王を名乗りはじめたりします。さすがに、帰る事に決めて越を呉から撤退させたのでした。
この戦いで、呉は背後の越を倒さない限り、中原に覇を唱えることはできないということが明らかになったのです。
越とは?
呉の南の越は、後に百越(ひゃくえつ)と呼ばれるようにベトナム人のルーツと考えられています。越の民は断髪、刺青をした海洋民族でした。

夏王朝6代の少康の子の無余が会稽に封ぜられ、文身(入れ墨)・断髪したのが越王朝の起源であるとされています。

『魏志倭人伝』では倭人の風習について、少康の子の故事を次のように引用しています。
「夏后少康の子會稽に封ぜられ斷髪文身 以て蛟竜の害を避く いまの水人好んで沈没し魚蛤を 捕らえ 文身また以て大魚水禽を厭う」
つまり、斷髪文身の習慣があった越の人々のところへ、夏王朝の血を引く少康の子、無余が統治者となり、統治者とはいえども民の風習に従って刺青をほどこしたということです。

この伝説にならって越王は自らを夏王朝の少康の末裔と称しています。
初めて越王を名乗ったのが允常(いんじょう)であり、呉王闔閭(こうりょ)が留守の隙を狙って呉に出兵した人物です。

允常(いんじょう)の息子の勾践(こうせん)こそが、呉と激しい戦いを繰り広げた王として歴史に名を刻むことになります。
呉王闔閭(こうりょ)の最期
越王允常(いんじょう)が亡くなった噂はまたたくまに呉に広がりました。これをチャンスとばかりに大軍を率いて呉王、闔閭(こうりょ)は越に出陣しました。

紀元前496年檇李(すいり)の戦いです。呉軍を率いるのは呉王、闔閭(こうりょ)、軍師の伍子胥、そして闔閭(こうりょ)の息子、夫差(ふさ)でした。
圧倒的な呉軍を前にした越はある奇策で対抗します。それは、囚人部隊を最前線に送り込み、敵の目の前で次々と自害させるというものです。慌てる呉軍の背後から越軍が回り込んでの総攻撃に、呉軍は総崩れとなり、この時にあろうことか呉王、闔閭(こうりょ)は矢を受けて重症となってしまいます。

闔閭「夫差よ、この仇必ず忘れるでないぞ」そう言い残した闔閭は息を引き取り、王位を譲り受けた息子の夫差は、この時の無念を一日たりとも忘れまいと、固い薪を枕にして寝て痛みを感じ続けたといいます。(臥薪-ガシン-)

父の仇を取るために国力を充実させた呉は、数年後、勾践(こうせん)率いる越軍を破ります。越軍を会稽山まで追い詰めた呉軍でしたが、夫差は勾践(こうせん)を許して殺しませんでした。
ただし、勾践(こうせん)は下僕として馬小屋の掃除係をさせたりと屈辱を味合わせられるたのでした。勾践(こうせん)はこの苦痛を忘れまいと国に帰ったあとも苦い肝を毎日舐め続けたと言われています。(嘗胆-ショウタン-)

呉の滅亡
越に勝利した呉王夫差はその勢いに乗り、紀元前484年からは中原(中国中心部)の平定に乗り出します。陳(ちん)、魯(ろ)、宋(そう)、斉(せい)を討伐し 紀元前482年には最大の秦国と対峙するまでになります。
順風満帆に見えたようではありましたが、長年呉を支えてきた忠臣の伍子胥と夫差の関係は悪化しており、夫差は伍子胥を処刑してしまいます。

夫差は諸侯を集めて覇者となるべく会盟の儀を開催しており、呉を留守にしている隙に、力を蓄えていた越の勾践がまたたくまに呉の首都を落城させてしまいます。

ここに呉と越の10年に及ぶ長い戦いがはじまります。紀元前473年蘇州に追い詰められた夫差は自害し、呉は滅亡するのです。
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