古代史好きなサラリーマンのブログ

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台湾の祝日 清明節の由来は春秋時代 晋の文公

4月3日は清明節(せいめいせつ)で台湾の祝日です。清明節(せいめいせつ)は、古代中国の春秋時代の文公(シンブンコウ)と介子推(カイシスイ)の逸話に由来する節日です。

 

 

清明節とは

清明節は、中国や韓国では掃墓日(お墓参りをする日)です。 家族そろって祖先の墓に足を運び、お供えをしたり、お墓の掃除をするという習慣があります。

 

そのため学校や会社は休みとなることが多く、自分が勤めている会社の台湾法人の社員もこの日はお休みです。

 

清明節には踏青、植樹、凧揚げなどをする事も一般的なようです。

 

中国北部の一部の地域では、清明節に火を使わずに冷たい食事をする風習があります。これは「寒食節」という古代中国で生まれた年中行事が引き継がれたもので、春秋時代に晋(しん)の文公(ぶんこう)が忠臣を犠牲にしたことに由来とする伝説があります。

晋の文公とは?

晋の文公(ぶんこう)は、中国春秋時代の晋の君主です。春秋時代は今から2700年前の紀元前7世紀、キングダムの時代よりも400年ほど前の人です。

文公といえば、晋の君主の子として生まれながら、国内の内紛を避けるために19年間国外を放浪したのち、帰国して君主となり天下の覇権を握った人物です。この時文公の年齢は62歳だったとありますから、日本でいう徳川家康のように忍耐の人ですね。(家康も62歳で征夷大将軍)

 

清明説の由来となった文公の逸話

文公は政敵が送り込む暗殺者から逃げるために、斉の桓公春秋五覇の一人)の元を目指していたとしのことです。

 

文公らは途中で食料が尽きてしまい、農民に食料の援助を頼みます。しかし、農民か差し出した茶碗にはこんもりと土がもられていたのです。(酷すぎる)

 

文公はこの仕打ちに怒りますが、家臣の趙衰がいさめて、「これは領土を得る吉兆だから、ありがたくもらいなさい」と言われ、ありがく受け取った話が残っています。

 

 この時の逃亡生活はかなり苦しかったのか、賊臣である「介子推」は自分の股の肉切り取って調理し、重耳に食べさせたという伝説があります。

『ワンピース』ゼフがサンジを生かすために食料をサンジに与えて、自分の足を切断して食べたエピソードは文公の逸話を元にしているのかもしれません。

さて、時は流れて文公は晋に戻ります。文公が晋の君主として即位した時、山西省綿山近くの森で貧しい孤独な生活を送っていた桀子推を呼び寄せようとしました。しかし、母親と山の中で静かな暮らしをしていた桀子推は政府の役職に就くことに興味がなく、この誘いを無視します。

桀子推に返答を迫るため、文公は山火事を起こさせて煙で追い出すことにしました。なんと、この山火事によって桀子推と母は火事で亡くなってしまうのです…

 

文公さん、、何をしてるの(;_;)

 

文公は桀子推の死を悔いて、晋の民に対して、数日間火の使用を禁止する命令を出しました。  また、毎年は桀子推の命日には火を使用することを禁じ、人々は冷たい料理を食べるようになったといいます。これが寒食節の始まりです。