古代史好きなサラリーマンのブログ

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ハワイの歴史

この記事ではハワイに人が住んでからアメリカの州になるまでの歴史をまとめます。

 

 

ハワイは8つの島からなる

ハワイは南からハワイ島マウイ島、カホラヴェ島、ラナイ島、モロカイ島、オアフ島、カウアイ島、ニイハウ島の8つの島から構成されています。「浜からもう蟹 (ハ・マ・カ・ラ・モ・オ・カ・ニ)」と覚えましょう。

ハワイに人類が来たのはいつ?

諸説ありますがおよそ1500年前にマルケサス諸島のポリネシア人無人島だったハワイ島にやって来たのが始まりといわれています。

ポリネシア人は元を辿ると5000年前に台湾からフィリピン、インドネシアを経由して太平洋の島々に拡散した海洋民族です。

上はハワイの4大神ですが、神話では「彼らはどこか遠い世界から精霊たちと一緒にやってきた」とされており、ハワイ固有の神ではありません。 古代ハワイ人のルーツとされるサモアタヒチニュージーランドなどポリネシア全域で、古くから同様の名前や特徴を持つ神々が信仰されていることから、その昔ハワイ人がカヌーに乗ってハワイ諸島にやってきた際、故郷の信仰を持ち込み、ハワイの風土に合わせ変化したのではないかと考えられています。

 

ハワイの8つの島にはそれぞれに王がおり、島を統治していました。王はハワイ神話における神の末裔と考えられており、農作物や狩の獲物や土地は全て神から与えられたものであるという概念が古代のハワイ人にはありました。

 

カメハメハ一世の時代

文字で歴史を残す文化がなかったことからハワイの歴史は残っていませんが、大航海時代になると西洋人がハワイまで辿りつきます。その頃、それまでは島ごとに王が統治していたのが、1人の王により統一されハワイ王国となっていきます。

1778年ハワイを発見したのはイギリスの探検家ジェームス・クックでした。

1782年にハワイ島の支配者となったカメハメハ一世は、イギリス人の安全を保障する代わりに他の国から守ってもらううように約束を取り付けます。同時にイギリスから調達した武器を使って他の島を制圧しハワイを統一し、1810年ハワイ王国を建国します。

 

カメハメハ1世はハワイに自生していた白檀(びゃくだん)をヨーロッパ商人に販売することで富を築いていきます。白檀とは甘い香りのする香木(こうぼく)で、当時中国で大人気でした。ヨーロッパ商人は中国からお茶を仕入れたかったので、中国人が求める白檀をハワイから仕入れたのです。

 

 

カメハメハ2世と伝統的なハワイ文化の崩壊

カメハメハ1世の後はカメハメハ2世が2代目国王として跡を継ぎます。 カメハメハ2世はハワイで信仰されていた宗教を否定し偶像を破壊するように命じます。日本でいう明治時代の廃仏毀釈のような状態に近いでしょうか。

これによりハワイの伝統的な秩序(自然の富は神からの贈り物)が崩壊し、宗教的な指導者は没落することになります。

 

信仰を失った人々のところへやって来たのがキリスト教の宣教師でした。キリスト教を信仰した人々は読み書きや西洋的な価値観を身につけた一方で伝統的なハワイ独自の文化は失われていくことになりました。

 

また、カメハメハ1世の時は強力にコントロールされていた白檀貿易はカメハメハ2世の頃になると個人が富を求めて売買するようになり、自生していた白檀が生い茂る山はハゲ山となり、主食のタロイモ畑は白檀が植えられ、ハワイ人は食料不足に見舞われたというから、目先の欲に取り憑かれた人間の破滅を物語っているようです。

 

カメハメハ3世とアメリカ人の入植

カメハメハ3世は白人に対抗するには近代化を進めることが重要と考え、アメリカ人を政治的なポジションに任命していきました。

 

カメハメハ3世の時代には憲法が作られましたが、王制に慣れていたハワイ人にとって抵抗が大きいものでした。そこに漬け込んだアメリカ人は次々と憲法に関する要職についていきました。

 

また、アメリカ人がハワイの土地を所有できる法案などアメリカ人に有利な法案が可決されることとなります。これにより白檀、捕鯨やサトウキビ栽培をビジネスチャンスと考えたアメリカ人移民が次々と増えていきます。

 

カラカウアと日本

4代目国王のカラカウアの時代になると、1875年にハワイからアメリカへ輸出する税金を無料にする代わりにアメリカ以外の国にハワイの領土を貸すことを禁止する条約が締結されます。これによりハワイは一時的に経済的に潤いますが、アメリカ人の入植が進むとともに、外国人が持ち込んだ感染症によってハワイ人が減少(建国当時30万人から5万人に減少)することで、アメリカ人の数は増え、ハワイ人の数は減少していくのです。

 

このままではハワイはアメリカに飲み込まれると危機感を覚えたカラカウア王は、同じアジアの島国でありながら近代化に成功している日本に次の提案を行います。

東伏見宮依仁親王(ひがしふしみのみやよりひとしんのう)

日本人のハワイへの大量移住と日本天皇家とハワイ王家の婚姻によりアジアの共同体を作ることを求めたのです。

 

明治18年国力増強に努めている明治政府にはそこまでの余力はなく、ハワイ王国の欧米化が進んでいた中での縁談はアメリカと敵対しかねないため要望には答えませんでした。他のアジア諸国にも同盟を求めたカラカウア王に対してアメリカ人は不満を募らせ武力的な圧力をかけるようになります。

 

最後のハワイ王リリウオカラニ

女王であったリリウオカラニはハワイ人に有利な憲法を作り直そうとしますが、アメリカ人のクーデターに合い失脚します。

 

1898年ハワイはアメリカによって併合され約100年間続いたハワイ王国は幕を閉じました。