この記事ではツングース系民族である夫余の始まりについてまとめています。
夫余とは
夫余(Fúyú)は、現在の中国東北部(満洲)に存在したツングース系民族です。

4世紀頃の夫余の位置
歴史 建国以前 夫余が建国する以前のこの地には濊(わい)族が住んでいたと考えられています。

少なくとも前漢(BC206年-紀元後8年)初期には濊(わい)族の城である「慶華古城(濊城)」が現在の黒龍江省ハルビン市賓県)も発見されていますから、紀元前3世紀まではこのあたりは濊(わい)族のテリトリーだったはずです。
元々、黒竜江上流にいたモンゴル系の遊牧・狩猟民であった夫余族が、満州へ南下したのは紀元前1世紀頃であったと考えられます。
玄菟郡の後退

玄菟郡は漢の武帝によって設置された統治機関です。沃沮(よくそ)族、濊(わい)、夫余(ふよ)族、高句麗(こうくり)族らを統治するために置かれました。
ところが、玄菟郡の支配を嫌って高句麗族が叛乱を起こしたのが紀元前75年でした。これによって玄菟郡は朝鮮半島東海岸から満州内陸部へと大きく後退することとなります。
漢の支配が及ばなくなったことにより、沃沮族、濊族、扶余族、高句麗族が自立の動きを強め、漢王朝への朝貢・服属を保ちつつも、民族的自覚を高めていきました。彼らは部族国家の結合や連合を繰り返し、徐々にその勢力を拡大していったのです。
建国神話
夫余の建国神話は、『論衡』吉験篇に次のような記述があります。
昔、北夷(黒竜江上流のハルビン付近)に橐離国(たくりこく)があった。国王が侍女を妊娠させてしまったので、殺そうとした。侍女は「以前、空にあった鶏の卵のような霊気が私に降りてきて、身ごもりました」と言い、王は騙された。
その後、彼女は男子を生んだ。王が命じて豚小屋の中に放置させたが、豚が息を吹き掛けたので死ななかった。次に馬小屋に移させると、馬もまた息を吹き掛けた。それを王は神の仕業だと考え、母に引き取って養わせ、東明と名づけた。

東明は長ずると、馬に乗り弓を射ること巧みで、凶暴だったため、王は東明が自分の国を奪うのを恐れ、再び殺そうとした。東明は国を逃れ、南へ走り施掩水にやって来てあ、弓で川の水面を撃つと、魚や鼈が浮かび上がり、乗ることが出来た。そうして東明は夫余の地に至り、王となった。
建国神話でも北の橐離国(たくりこく)からやって来たとあるように、夫余は南下しながら先住民である濊(わい)族らと征服・混血することで、農耕と狩猟を兼ねる民族へと変貌を遂げていったのですね。
東明王は夫余だけでなく、高句麗の建国神話でも始祖として登場します。ツングース民族で建国神話は共通しているようです。
まとめ
・夫余は満州地域から南下して朝鮮半島北部へやって来たツングース民族である
・夫余の建国神話では夫余の始祖、東明王が北~やって来たと伝わる