日本人なら誰もが知っている「桃太郎」には、モデルとなった可能性のある人物がいることを知っていますか?その人物は日本の歴史書に登場し、史実である可能性があるのです。この記事では、おとぎ話「桃太郎」の話のモデルとなった岡山県の伝説についてまとめていきます。
温羅(うら)伝説とは?

時は古墳時代、舞台は吉備(きび)の国(現在の岡山県)にさかのぼります。岡山県には「温羅(うら)伝説」という鬼の伝説が語り継がれています。今回は『備前吉備津彦神社縁起』や 『備中吉備津宮勧進帳』に記された温羅(うら)伝説を紹介します。

温羅(うら)とは朝鮮半島の百済(くだら)からやって来た王子で吉備地方を支配した勢力の首領だったといわれています。

『キビツヒコの温羅退治』より
温羅は「第11代垂仁(すいにん)天皇または第10代崇神(すじん)天皇の御代に異国から吉備へ飛んでやってきた鬼神として記されており、その両眼は虎や狼のように鋭く輝き、その顎髭や髪は燃えるように赤く、身長は一丈四尺(約4.2m)、性質は荒々しく凶暴であった、とあります。
この、鬼である温羅を退治した人物こそが桃太郎のモデルです。
桃太郎のモデルの吉備津彦命とは?

『キビツヒコの温羅退治』より
温羅は大和朝廷への貢ぎ物や物資を載せて瀬戸内海を渡る船を襲ったため、大和朝廷は第7代孝霊天皇の皇子で武勇に優れた五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(=吉備津彦命)を派遣します。

『古事記』や『日本書紀』には、吉備津彦命(五十狭芹彦命)が「四道将軍」の一人として吉備国を平定したという記述がある、歴史上の人物です。この人物こそが桃太郎のモデルであると考えられています。

桃太郎のお供である犬、猿、雉にも、それぞれ吉備津彦命の家来である犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部の佐々木盛彦命(さざもりひこのみこと)、鳥飼部の止玉臣命(とめたまおみのみこと)というモデルになった人物がいるようです。
温羅と吉備津彦命の激闘

『キビツヒコの温羅退治』より
温羅と吉備津彦命の戦いは熾烈を極めました。互いの矢が空中でぶつかり合うほどの激戦の末、吉備津彦命の放った矢が温羅の左目に命中。

『キビツヒコの温羅退治』より
温羅は雉や鯉に変身して逃げますが、最終的に捕らえられ、首をはねられてしまいます。温羅の血で赤く染まったとされる「血吸川」や、温羅が鯉に変身して逃げた際に捕らえられたことに由来する「鯉喰神社」、そして温羅の首が晒されたとされる「首塚」など、伝説にまつわる場所が現在も岡山県に実在しています。
「鬼」温羅の真実と意外な結末
しかし、物語はここで終わりません。首をはねられた温羅は、何年もの間吠え続け、人々を悩ませたといいます。

『キビツヒコの温羅退治』より
吉備津彦命の夢には温羅が現れ、「私は鬼ではない」と告げるのです。温羅は百済の王子であり、戦いに敗れて吉備の国にたどり着いたものの、鬼と間違えられて暴力を振るわれ、山に逃げ込んだと語られます。
また、温羅が助けたくれた少年にお礼として鉄製の農具や漁具を渡し、里の人々に製鉄や造船技術を伝えたという。そして、その少年のお姉さんである麻姫(あさひめ)が温羅の好物として手作りのきびだんごを届けていたという、きびだんごの意外な由来も明かされます。

温羅は、自身の首が埋められたかまどの火を妻の麻姫に焚かせ、かまどの音で世の吉凶を占う「鳴釜神事(なるかましんじ)」を行うことを吉備津彦命に提案します。この神事は現在も吉備津神社で行われています。
鬼ノ城は温羅の城か?

温羅が住んでいたとされる岡山県総社市の鬼ノ城が、朝鮮半島からの侵攻に備えて築城された古代山城の一つであると言われています。
吉備津彦命は、ヤマト王権の後押しを得た東部の吉備氏族の始祖とされ、西部の吉備氏族との戦いが温羅伝説の元になったという説や、さらに時代を遡り、邪馬台国と狗奴国(くぬこく)の抗争がこの鬼退治物語に投影されているという説も紹介されており、桃太郎の物語が単なるおとぎ話ではなく、古代日本の歴史と深く結びついていることが示されています。
まとめ
・岡山県には温羅という鬼が吉備津彦によって退治された伝説が語り継がれている
・桃太郎のモデルは『古事記」『日本書紀』に登場する吉備津彦である可能性がある
・退治された温羅の祟りを押さえるために吉備津神社が、温羅の居城の山城跡は現在でも鬼ノ城と呼ばれている