古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

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古代の朝鮮半島と縄文人

九州と近い朝鮮半島は現在でこそ、韓国、北朝鮮という日本とは別の国家ですが、古代においては密接な関係がありました。

 

今回は古代の朝鮮半島に着目していきたいと思います。

 

目次

 

 

朝鮮半島最古の人類

全谷里遺跡

朝鮮半島には少なくとも4万年前には人類(ホモサピエンス)がいたとされています。

 

朝鮮半島無人だった5000年の謎

Chuntaek Seong 他 [ソウル大学]

朝鮮半島で生活していた人類は1.2万年前〜7千年前朝鮮半島から忽然と姿を消してしまいます。

 

この期間には済州(チェジュ)島のピルレモッ洞窟が発見されているいますが、朝鮮半島では考古学的な遺跡が見られず、韓国考古学会では劇的な環境の変化により人類がいなくなったと説明しています。

 

劇的な環境変化とはなんでしょう。

 

8万年続いた長い氷河期が終わったのが、1.5万年前、地球は温暖化していきます。

『地球環境学事典:総合地球学研究所編 弘文堂 2010より引用転載

しかし、そこから2000年ほどたった1.29万年前から1000年は北半球の高緯度地域で再び厳しい冬がやってきたことがわかっています。「ヤンガードリアス寒冷期」です。(※暦年代で1万2900年前 - 1万1500年前、放射性炭素年代で1万1000年前 - 1万年前とされている)

ヤンガードリアス寒冷期の原因は「彗星の衝突」であると言われています。北米大陸への彗星の衝突により巻き上げられた塵による寒冷化があげられ、米国のオクラホマ州ミシガン州サウスカロライナ州、カナダ・アルバータ州などで、その証拠となる極小のダイヤモンドが約1万3000年前の地層から発見されています。

君の名は。』(新海誠監督、2016年)

彗星の衝突と聞くと『君の名は。』を思い出しますね。

 

ヤンガードリアス期の間も日本列島は対馬海流が発生させた水蒸気により温暖な気候が継続していました。寒冷化した朝鮮半島に住んでいた人々は楽園を求めて日本列島へ移住し、1000年後には朝鮮半島には誰もいなくなってしまったということでしょうか。

 

縄文人朝鮮半島へ移住した?

東三洞遺跡(とうさんどういせき)

朝鮮半島無人の時代が続きますが、再び人類が帰ってきた痕跡が発見されるのは7000年前のことです。

 神奈川県横浜市花見山遺跡から出土した隆線文土器(横浜市指定有形文化財横浜市歴史博物館所蔵(Wikipediaより)

朝鮮半島南部の東三洞遺跡(とうさんどういせき)(7000年前)から土器が出土しています。これは韓国最古の土器で、「隆起線文土器」(りゅうきせんもんどき)と言われる日本列島の縄文時代草創期初頭に作られたものと類似しています。島根産の黒曜石も見つかっているようです。

対馬越高遺跡(7100-6400年前)からは、隆起線文土器や九州の黒曜石が見つかっているようです。

 

無人になった朝鮮半島に7000年前に現れた人々はいったいどこから来たのか?考えた時に、土器な黒曜石から日本列島に住む縄文人が移住したと考えることができそうです。

 

それではなぜ日本から朝鮮半島へ移動する必要があったのでしょう。

 

鬼界カルデラの噴火が縄文人を北へ駆り立てた?

鬼界カルデラは、薩摩半島から約50 km南の大隅海峡にあるカルデラ・海底火山です。

 

実は鬼界カルデラ縄文時代に大噴火を起こしているのです。

エコノミストonlineより

7300年前に発生した大規模カルデラ噴火は過去1万年の内では世界最大規模で、火砕流が九州南部にも到達し、九州南部の縄文文化を壊滅させたと推測されています。

 

九州北部に生活していた縄文人も猛烈な火山灰(20㎝)から逃れるように関東や朝鮮半島へ避難したことが推測されます。

 

実際にこの頃の日本列島の人口は極端に東日本に偏って分布していることがわかっています。(縄文時代の人口については下参照)

鬼界カルデラの被害から流れた九州の縄文人が海を渡って対馬朝鮮半島へ渡ったすれば、現在の朝鮮半島人と日本列島人の遺伝子は近いものでなくては辻褄があいません。

上は現代の日中韓のDNAを比較した図です。遺伝学的には韓国人のDNAは、日本人と中国人の中間にあたるような民族であるとわかります。

 

7000年前に朝鮮半島に移住した縄文人と、大陸から南下してきた民族が混血した結果、今日の韓国に住む人々が形成されていったのではないかと考えられます。

 

では、中国系の民族が大陸から南下してきてのはいつの時代なのでしょうか。

箕子朝鮮(きしちょうせん)とは

中国は古代より文字で歴史を残す文化がありますが、歴史書に古代の朝鮮半島について記した興味深い記載があります。

BC1世紀(2100年前)にかかれた中国の歴史書史記』によれば、中国の殷最後の王である帝辛(紂王ちゅうおう)の叔父である箕子が箕子朝鮮(きしちょうせん)を建国したとあります。

箕子は現在の平壌に城を築いたとされています。殷が周によって3000年前に滅びており、少なくともこの時期には中国で敗れた王朝が朝鮮半島に逃れるという前例があったように思います。

その後紀元前200年(2200年前)にも戦国時代の燕から逃れた衛満が箕子朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建国していまし、漢の武帝の時代には漢民族に征服され楽浪郡帯方郡が設置されています。

 

こうした長い歴史の中で南下してきた北方の漢民族が南方の縄文人と混血しながは独自の文化を育んだ結果、現在の韓国という国家が形成されていったのではないでしょうか。

 

参考文献

 

氷河期とは何か?