ゴールデンカムイを読んでいてアイヌ語が日本語と異なる事を知り驚きました。アイヌ語のルーツは謎に包まれているようですので、考えてみました。

アイヌ語と似ている言語は?
その他の言語としてアイヌ語と韓国語、ニヴフ語などシベリアの言語、オホーツクの言語と比較され研究されていますが、決定打になる証拠は見つかっておりません。
アイヌの遺伝子に何か手がかりが残されていないでしょうか。
アイヌの遺伝子
アイヌのY染色体ハプログループはD1a2が占める割合が80%です。
D1a2といえば縄文人の遺伝子と考えられており、少なくとも1.5万年よりも前の旧石器時代に日本列島に居住した集団の遺伝子です。

ワンピースの「Dの一族」のモデルになっているのでは?と前回の記事でまとめました。
アイヌの80%に比べて、本州の日本人のD1a2の割合は40%なので、本州人よりもアイヌの方がより縄文由来の遺伝子を色濃く受け継いでいることになります。
明治時代にアイヌは縄文人の生き残り説が唱えられたのはこのためでしょう。
独自の言語であるアイヌ語は縄文人が使っていた言語なのでしょうか?
アイヌ人が持つD1a2以外の遺伝子として「C2b」があります。日本人のY染色体ハプログループは下記の通りでC2bは含まれておらず、アイヌが持つ独自の遺伝子ということになります。
日本人Y染色体ハプログループ
D1a2 40.8%
O1b 27.0%
O2 22.1%
C1a1 8.5%
すなわち、C2bは青森より南から来た人類由来ではなく、北の樺太経由で北海道に来た集団の由来である可能性があります。
樺太経由で北海道に来たC2b遺伝子を持つ集団といえば、現在も樺太に住む少数民族「ニヴフ」が想像されます。
ニヴフとは?

ニヴフとは樺太に住み漁撈とアザラシ猟を生業とする少数民族です。
ニヴフのY染色体ハプログループの構成はTajima et al.(2004)より
C2 38.1%
O(O1a,O2を除く)28.6%
P(R1aを除く)19.0%、
R1a 9.5%
その他(A,B,C,D,E,Kを除く)4.8%
ウラジーミル・ニコラエヴィチ・ハリコフ(露)が2012年に行ったサハリン州の52人のニヴフ族のY染色体ハプログループの分析では
C 271%
O 27.7%
Q 7.7%
D1 5.8%
O1a 3.8%
O1b 1.9%
N 1.9%
であり、ニブフはC2を主体とした民族であることがわかります。
現在は樺太に住んでいるニヴフがアイヌ人と混血したのはいつのことなのでしょうか。
ニヴフがオホーツク文化人をもたらした?
サハリンや沿海州の旧石器時代の遺跡からは北海道白滝産の黒曜石が出土していることから、北海道人との既に交易が始まっていましたが、北海道にはニヴフと異なる文化を持つ集団が生活だ事がわかっています。

海洋政策研究所より
3世紀になると、それまで北海道に住んでいた集団とは大きく異なる文化が、サハリン(樺太)から北海道のオホーツク海沿岸にやってきたことがわかっています。この文化を「オホーツク文化」とよんでいます。
どうやらこの樺太から来た集団がもたらしたオホーツク文化の遺跡からは海獣や魚の骨が出土し海洋民であったことがわかっており、ニヴフだった可能性があるのです。

当時北海道には南から広がったD1a2が住んでいたと思われます。その証拠に6000年前の縄文時代前期の遺跡からは円筒土器など東北地方と同じタイプの土器が出土しています。

縄文時代中期になると寒冷化により食糧不足により日本列島の縄文人の数が激減します。(26万人から7万人になった)大陸からは南下してきた渡来人が稲作を始めた事で本州の人口は増加しますが、稲作ができない北海道の人口は少ないままだったでしょう。
人口が激減した北海道の縄文人のところへやってきたのがオホーツク文化の担い手であるニヴフです。
生き残った縄文人達も多数派であるニヴフと混血したり交流する中で言語も大きな影響を受けたのではないでしょうか。
縄文人の古い日本語がニヴフ語に影響を受けた姿がアイヌ語という説です。
この考えでいくと本州縄文人も渡来人の言語に影響を受けてそうな気もします。
古いニブフ語も古い日本語も今となっては消滅してしまっているので、解明するのは難しいですのが残念なところです。
まとめ
・アイヌ語は独立しており類似した言語は見つかっておらず起源は不明である。
・アイヌは本州日本人が有さないC2遺伝子を持っており、樺太少数民族ニヴフからもたらされた可能性がある。
・オホーツク文化人(ニヴフ)が大量に北海道に押し寄せた際に縄文人は少数派であり言語も影響を受けたのではないか。
- 価格: 1540 円
- 楽天で詳細を見る