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もののけ姫と日本史:アシタカのモデルは長髄彦と東北の蝦夷

この記事では日本神話(古代史)に登場する長髄彦(ナガスネヒコ)と東北地方の蝦夷が『もののけ姫』のアシタカのモデルになっているという仮説について考えます。

 

 

 

石切劔箭神社の祭神は長髄彦

大阪府東大阪市に石切劔箭(いしきりつるぎや)神社があります。

生駒山の麓に鎮座し、かつては生駒山の上にはあったそうで、御神体生駒山だったのでしょうか。

祭神饒速日尊(にぎはやひのみこと)と その子である可美真手命(うましまじのみこと)を祀っています。

元々は長髄彦の一族が大和国を治めていましたが、九州からやってきた饒速日(にぎはやひ)が妹を娶り勢力を拡大しました。

後に初代天皇である神武天皇が現れ、饒速日可美真手命(うましまじのみこと)神武天皇に大和を譲り、石切神社の地に祀られることになった。といいます。

一方で石切神社は元々長髄彦を祀っていたが、長髄彦天皇に反逆したため、代わりに饒速日可美真手命を祀ったという説があります。

 

 

イシキリはアイヌ語長髄彦

石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の名前の由来について、進藤治氏によると、石切という名前は縄文語に由来していると考察しています。

 

「イシキリ」の「イ」は「大きな」、「キリ」は「足」を意味し、「足の大きい人」、つまり長髄彦を指すのではないかと述べているのです。

日本列島には3万8千年前の旧石器時代から日本列島に住んでいた縄文人がいたところに、北九州、近畿に渡来人が入ってきたので、南九州、東北、北海道に住む日本人は現代でも縄文人の遺伝子を多く引き継いでいます。

北海道のアイヌ樺太から来た北方民族と混血はしていますが、言葉には縄文人由来の言語が混ざっているとするならば、長髄彦縄文人だったのではないかとも思えますね。

安倍晋三の祖先は長髄彦

鎌倉時代の『曽我物語』によると長髄彦は東北に逃れて蝦夷(えみし)の祖先になったと記されています。

その子孫はやがて東北で豪族(安倍氏)となり、前9年の役(1051年)でうたれて捕虜となり福岡にわたり、子孫の一派は山口にわたり安倍晋三の祖先になったと言われています。

青森県に「キリストの墓」と呼ばれる場所があります。ここにはキリストとその弟のイスキリが眠っているといわれています。

 

イスキリ…イシキリ…と考えると長髄彦の墓なのかもしれません。

 

キリストが生きておりここまで来たのかどうかはわかりませんが、長髄彦が東北に逃れた伝承とは一致しますね。

 

アシタカのモデルは長髄彦か?

ここまで大和を治めていた縄文人の末裔である長髄彦は東征してきた神武天皇に敗れて東北へ逃れて蝦夷の長となったと記してきました。

 

神武東征の神話は、言うなれば、弥生人の末裔たる神武天皇縄文人の末裔である長髄彦の戦いであったと表現できます。

 

宮崎駿監督の作品『もののけ姫』は縄文人弥生人の衝突をテーマとしているように思えます。

上はアシタカが生まれ育った村の建物の内部です。建物の中であるにもかかわらず巨大な石が壁から突き出しており、その両脇には縄文土器が置かれています。

巨石を御神体として崇める風習は日本列島に古来から残っている自然信仰であり、縄文人の文化です。(上は久美浜にある神谷太刀宮)

もののけ姫』のタタリ神には縄文土器のような模様を纏っており、その姿は絵巻物に登場する土蜘蛛(つちぐも)に似ています。土蜘蛛とは大和朝廷に従わない縄文人への蔑称です。

 

つまり、アシタカの一族は巨石すなわち巨石をを崇める縄文人の文化を継承する一族であるとわかります。

 

ここで思いだしていただきたいのが、イシキリ神社の由来です。宮崎駿監督はイシキリとはアイヌ語で大きな足で、長髄(長脛)彦を祀る神社ではないかという説をもとに、主人公にアシタカ(足高)という名づけたのではないでしょうか。

 

まとめ

石切劔箭神社長髄彦が祀られている伝承がある。

・イシキリはアイヌ語で「大きな足」の意味を持ち、長髄彦の名前と類似している。

・曾我物語では長髄彦は東北に逃れて蝦夷になった。

もののけ姫のアシタカは縄文人の末裔であり、長髄彦が由来かもしれない。