奈良県奈良市の富雄丸山古墳から出土した蛇行剣がメディアで注目を集めていますね。
注目すべきは全長273センチというその長さで、東アジア最大の蛇行(だこう)剣だそうです。
「こんなに長い剣を使って戦えるなんて昔の人類は巨人だったのではないか?」そんな考察をYouTubeで見ました。
昔の日本には巨人がいたのでしょうか考えてみたいと思います。
富雄丸山古墳と長髄彦
富雄丸山古墳は奈良県奈良市丸山にある直径109メートルの円墳です。円墳として日本最大の埼玉県さきたま古墳群の丸墓山古墳(直径105メートル)を上回る可能性があります。
富雄丸山古墳がある「富雄とみお」という地名は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)から来ているという説もあるそうです。
長髄彦は初代天皇である神武天皇の東征神話に登場するラスボス的な存在です。
「日本書紀」によると、神武天皇の軍が、トミオの豪族「長髄彦」の軍に苦戦していた際、「空が曇り氷雨が降り、黄金の鵄が飛んできて天皇の弓の弭にとまった。 その光で長髄彦の軍は目がくらんで戦うことができなくなった」とあります。富雄や鳥見の名称はこの鵄伝説に由来していると言われています。
富雄の西側にある生駒山には長髄彦の主君である饒速日(にぎはやひ)が天磐船(あまのいわふね)に乗って天孫降臨した伝説があり、饒速日の墓と伝えられる場所も近いので期待は高まります。
饒速日について詳しくは↓をご覧ください。
蛇行剣が出土した富雄丸山古墳の年代
富雄丸山古墳の年代ですが考古学的な調査では「4世紀後半」と推定されているそうです。
時代的に長髄彦の時代と一致するのでしょうか。
『日本書紀』によれば神武天皇が長髄彦を破り大和で即位したのが、紀元前660年2月11日としています。
これを記念して1966(昭和41)年に国民の祝日として2月11日は建国記念日と定められました。
この通りにいくと一人当たりの天皇の寿命が長すぎる問題が発生します。例えば神武天皇は127歳で亡くなったとあり、14代仲哀天皇まで明らかに長生き天皇が多すぎる不自然さがあるのです。
そこで実在する天皇から系図を頼りに、親と子の年齢差を20-30歳として作成したのが上です。
神武天皇の誕生年は紀元前120年ー70年となり、長髄彦と戦ったのは紀元前1世紀中旬〜西暦1世紀後半だったと予想しています。
富雄丸山古墳が作られた4世紀後半は第15代応神天皇、第16代仁徳天皇あたりの時代になるのではないでしょうか。
大阪の堺市に巨大な前方後円墳が作られ始める時代となり、残念ながら長髄彦本人の陵墓ではなさそうです。
蛇行剣は何に使うのか?
鬼滅の刃より
この長い剣を戦闘で使ったとなるとかなり大柄な人間でないと戦えないのでは?と考えていました。
逃げ上手の若君より
その形状と出土数から実用武器ではなく、儀礼用の剣と考えられているようです。
富雄丸山古墳に埋葬されたのは儀礼を司る人物だったとすれば、長髄彦の子孫である物部氏の誰かが埋葬されているかもしれないですね。
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