
『逃げ上手の若君』四巻より
今回は『逃げ上手の若君』四巻に26話に登場した敵、清原信濃守(きよはらしなののかみ)を深掘りしていきます。
※『逃げ上手の若君』四巻のネタバレを含みます。

清原信濃守(きよはらしなののかみ)の時代
目次
清原信濃守(きよはらしなののかみ)とは?

『逃げ上手の若君』四巻より
清原信濃守(きよはらしなののかみ)は 京都の帝(みかど)=天皇から信濃守(しなののかみ)に任命されて信濃へ赴任した国司(こくし)です。

『逃げ上手の若君』四巻より
国司(こくし)とは現代で言う県知事のようなものですが、県知事との違いは地元から選出されず、中央政府から派遣される点です。
朝廷は701(大宝元)年に制定された「大宝律令」を定め。全国約60の国を統治する役職として国司(こくし)を派遣したのです。

コトバンクより
信濃守の「守(かみ)」とは名前ではなく国司(こくし)の中の位のことですね。

『逃げ上手の若君』四巻より
やがて国司(こくし)には税率を自由に決める権利が与えられたので、領民に重税を課して私腹(しふく)を肥やす人々が現れます。

『逃げ上手の若君』四巻より
清原信濃守は国司なので 幕府から派遣された守護の小笠原貞宗より格上。 だから戦においても小笠原貞宗は清原信濃守(きよはらしなののかみ)に気を遣っていたのです。
清原信濃守(きよはらしなののかみ)の家系図は?

清原信濃守(きよはらしなののかみ)の出自である清原氏とは何者なのでしょうか。
清原氏は、平安時代の8世紀末から9世紀後半にかけて臣籍降下(しんせきこうか)した一族です。臣籍降下とは天皇家の人間が皇族から離れて一般人になる制度なので、清原氏は天皇の子孫ということになります。
清原氏は臣籍降下した100人以上の皇族に与えらおり、清原信濃守(きよはらしなののかみ)がどの天皇の末裔なのかはよくわかっていないようです。

清原氏の大部分は天武天皇の皇子の舎人(とねり)親王の末裔といわれ、ほかには敏達天皇の皇孫である百済王の末裔がいます。

清原氏を出自とする人物は後の歴史でも度々登場します。前九年の役で勝利した出羽国の清原氏や『枕草子』の作者清少納言も清原氏の出身です。

『逃げ上手の若君』四巻より
そして今回登場した清原信濃守。京から大群を呼べるほどの力を持っていたのは血筋によるところもあったのでしょうか。
清原信濃守(きよはらしなののかみ)は実在する?最期は?
清原信濃守(きよはらしなののかみ)と言う人物ですが実在していたようです。
『太平記』では北条時行を擁した諏訪頼重が、信濃国司を攻めて自害に追い込み、 七月十八日に上野(群馬県)に侵攻します。 信濃国司が「清原真人」と言う人物です。
真人とは名前ではなく「八色の姓」と言う制度で天皇から皇族に与えられる最高位の位です。

史実の清原信濃守も真人を名乗れるほど位の高い人物だったということですね。
清原真人は自害という最期を迎えたとありましたが『逃げ上手の若君』ではどうなるのでしょうか。
まとめ
・国司とは朝廷から派遣された役人で徴税権を持つ