
この記事は、三重県松坂市にある櫛田神社(くしだじんじゃ)を参拝し、伊勢神宮の神官である度会氏や全国各地の櫛田神社との関係性を考察しています。
- 櫛田神社(くしだじんじゃ)とは
- 櫛田神社(くしだじんじゃ)の祭神 大若子命とは
- 「宝塚1号墳」の舟形埴輪が証明する大若子命の伝承
- 櫛田神社(くしだじんじゃ)を参拝
- 日本各地に祀られる櫛田神社の祭神 大若子命
- まとめ
櫛田神社(くしだじんじゃ)とは
櫛田神社(くしだじんじゃ)は、 三重県松阪市櫛田町 に鎮座する式内社です。

櫛田神社の場所
『延喜式神名帳』(平安時代・927年完成)の伊勢国多気郡(いせのくに たけのこおり)の条には櫛田神社(くしたの かみのやしろ)とあります。

博多祇園山笠より大若子命
主祭神:大若子命(おおわかこのみこと)
相殿神: 市寸嶋比売命、櫛玉命、櫛玉比売命、天忍穂耳命、建速須佐之男命、熊野大神 ほか

櫛田神社の由緒
神社の由緒によれば、垂仁天皇25年、天照大御神の御神体を奉じて旅をしていた倭姫命(やまとひめのみこと)が、この地で大切な爪櫛(つまぐし)を田んぼの中に落としてしまいました。それを見つけ出して献上したのが、地元を治めていた大若子命(おわかこのみこと)だったといいます。
倭姫命はたいそうお喜びになり、 「このような小さな爪櫛が見つかるとは、まさに奇しきこと(『奇し=くし』と『櫛』の掛け言葉)。この地を櫛田と名付け、櫛田の社を置きなさい」 と勅命を下したと伝えられています。

11代垂仁天皇の時代といえば4世紀初旬ごろだと考えています。
櫛田神社(くしだじんじゃ)の祭神 大若子命とは
祭神の大若子命(おおわかこのみこと)は、伊勢神宮・外宮の神官を代々努めてきた、伊勢の豪族、磯部氏(後の度会氏)の祖先とされる人物です。

倭姫と大若子命
平安時代に編纂された『皇太神宮儀式帳』(804年)や『倭姫命世記』によると、大若子命は倭姫命を迎え入れ、自らの領地(櫛田川以東)を神領として伊勢神宮に寄進しました。その功績により「神主(かむぬし)」の職を授かり、これが代々伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)の最高神職を務めた度会氏の先祖であると記されています。

度会氏の系図によれば、始祖神は天火明命(あめのほあかりのみこと)です。尾張氏や海部氏や物部氏と同じルーツを持っていることがわかります。
鎌倉時代に編纂されたとされる『伊勢二宮ノ禰宜神主等系図』によれば、垂仁・景行天皇の時代、大若子命は朝廷の命を受けて北陸(越の国)の怪物退治・平定へと遠征します。その際、旗(幡)を掲げて戦い、また現地に機織りの技術をもたらしたことから「大幡主」の称号を得たとされます。
個人的には、3世紀末10代崇神天皇が大和で即位し、4世紀初旬に11代垂仁天皇の時代に倭姫が旧出雲国を訪問することで旧出雲勢力に大和政権への忠誠を誓わせていったと考えています。(3世紀初旬に銅鐸文化が消滅し、3世紀中旬に大和に箸墓古墳が作られる)その際に伊勢地方の王だった大若子命は倭姫を迎え大和政権の傘下として北陸のまつろわぬ民を平定したのではないでしょうか。
「宝塚1号墳」の舟形埴輪が証明する大若子命の伝承
なぜ伊勢の首長が、北陸の「機織りの神」や「大幡主」として各地に祀られることになったのでしょうか?

宝塚1号墳の位置
櫛田神社からそう遠くない場所に位置する宝塚1号墳(5世紀前半)からは「舟形埴輪」出土しています。

宝塚1号墳出土の舟形埴輪 埴輪展にて撮影
この埴輪は、丸木舟の側面に波除けの板を立て、オール(櫂)を漕ぐための突起が造形された当時の「構造船」を再現しています。
5世紀前半といえば、大和政権が朝鮮半島への出兵を盛んに行っていた時期です。 松阪を流れる櫛田川の水運を利用し、伊勢湾から知多半島、尾張、そして琵琶湖を経由して日本海(北陸)へと抜ける水運を掌握していた海洋民の存在が想像できます。

北陸を目指す大若子命
大若子命が「北陸遠征を行って平定した」という伝承は、100%フィクションではなく伊勢湾の水運勢力が、日本海側へ航路を伸ばした史実が元になっているのでしょう。
櫛田神社(くしだじんじゃ)を参拝

櫛田神社の位置
松阪市と多気町の境を流れる一級河川「櫛田川(くしだかわ)」のの傍らに、ひっそりと鎮座していました。
近鉄山田線の「櫛田駅」から歩いて5分ほどの畑の中にありました。

櫛田神社にて撮影
神社の入り口には「式内 櫛田神社」と刻まれた石碑が目に入ります。

櫛田神社にて撮影
境内の面積はそんなに大きくありません。

拝殿
神紋は三つ巴でした。

本殿
日本各地に祀られる櫛田神社の祭神 大若子命
伊勢の首長である神は、はるか遠い越の国(北陸)や九州・博多の地(あの博多祇園山笠で有名な博多櫛田神社)でも祀られています。
全国の「櫛田神社」や「櫛玉」を冠する神社の分布を見てみましょう。
- 筑前国(福岡県博多): 博多櫛田神社(主祭神:大幡主命=大若子命)孝謙天皇天平宝字元年(757年)託宣によって三重県松坂市の櫛田神社から分霊され鎮座。
- 佐渡国(現・佐渡市):賀茂郡の式内社・大幡神社の祭神は大若子命であり、北狄(阿彦)を討伐したために「大幡主命」と呼ばれるようになった。
- 越後国(現・新潟県):魚沼郡の式内社である魚沼神社には阿彦の霊を祀るという伝承があるという
- 加賀国(現在の石川県):石川郡の式内社・御馬神社は、御馬皇子が神を祀ったことを社名の由来とするが、『加賀国式内等旧社記』に「御馬明神 祭神 大若子命」とあり、その大若子命の子孫(一説に御馬織連(みまおりのむらじ))がこの地にとどまり御馬皇子と呼ばれ、祖先神を祀ったものだと考えられている
記紀神話に登場しない大若子命が遠く離れた各地の神社伝承に登場するのは、史実を反映しているのか、あるいは伊勢参りの時に仕入れてきたネタを各地で語り継いだのか。真相は謎です。
まとめ
- 櫛田神社は、三重県松阪市に鎮座する式内社で、垂仁天皇の時代、天照大御神を祀る地を探していた倭姫命が落とした串を地元の豪族である大若子命が見つけ出したことが社名の由来である
- 大若子命は、伊勢神宮・外宮の最高神職を代々務めた渡会氏(度会氏)の先祖であり、系図上の始祖神は天火明命(あめのほあかりのみこと)とされる
- 倭姫命に自らの領地を神領として寄進し、大和政権傘下の伊勢の首長として従属・協力した
- 大若子命は朝廷の命で北陸の反乱勢力(阿彦など)を平定し、機織り技術をもたらしたことから「大幡主(おおはたぬし)」の称号を得たと伝わる
- 大若子命の北陸討伐や機織り技術の伝達、その子孫の定着にまつわる伝承・式内社が各地に残されている




































個人的に饒速日を始祖とする『先代旧事本紀』の系図は出雲系だと考えているので緑で示しました。『先代旧事本紀』は、伊勢国造から磯部氏・度会氏は連綿と続く饒速日の末裔であると主張しているのです。































