古代史好きなサラリーマンのブログ

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鬼滅の刃と日本史 鳴女のモデル・由来は日本神話

『鬼滅の刃』に登場する「鳴女(なきめ)」の名前と、日本最古の歴史書『古事記』に記された悲劇の伝承の繋がりについて紐解いていきます。

 

 

鬼滅の刃の「鳴女」とは?

『鬼滅の刃』より

『鬼滅の刃』に登場する鳴女は、鬼舞辻無惨に仕え、琵琶の音とともに異空間「無限城」を縦横無尽に操る女性の鬼です。

『鬼滅の刃』より

長い前髪で顔を隠した異様な佇まいでありながら、圧倒的な空間操作能力と索敵能力を有し、物語の後半では「上弦の肆」へと昇格を遂げました。

『鬼滅の刃』より

「空間そのものを支配し、敵を寄せ付けない」という唯一無二の異能は、鬼殺隊にとっても最大の脅威として立ちふさがります。

 

この「鳴女」という特徴的な名前は、実は日本の古代神話に登場する神の使いの名と深く重なっているのをご存知でしょうか。

『古事記』に登場する「鳴女」と「天の返し矢」の伝承

鳴女は『古事記』の出雲国譲り神話に登場します。天上の「高天原(たかまのはら)」の神は、地上の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」を治めるのに相応しいのは天の神だと考え、地上に使者を送ります。

『神武』2より

最初の使者として派遣されたのは天若日子(あめのはかひこ)という神でした。

 

しかし、天若日子(あめのはかひこ)は、8年もの間音信不通となったため、様子を確かめるべく高天原から一羽のキジ(雉)が遣わされました。

このキジの名前が「鳴女(なきめ)」です。

 

鳴女は天からの問いかけを伝えに飛び立ちますが、天若日子の側近である天探女(あめのさぐめ)に「不吉な鳥だ」と唆された天若日子によって、矢で射抜かれてしまいます。

鳴女を貫いた矢は高天原まで届き、事態を悟った高木神(たかぎのかみ)によって「邪心があるならばこの矢に当たれ」と地上へ投げ返されます。

その矢は寝転んでいた天若日子の胸を貫き、彼自身の命を奪うこととなりました。

 

これが鳴女が登場する「天の返矢(あめのかえしや)」は、『古事記』の神話です。

 

天若日子と哭女(なきめ)

鳴女と漢字は異なりますが、同一の名前を持つ人物が話の続きに登場します。

 

天若日子が亡くなった後、彼を弔うための盛大な葬儀が行われました。

 

この祭祀において、キジは声を上げて泣き叫ぶ役割である「哭女(なきめ)」を務めたと記録されています。

 

古代の日本では、お葬式のときに大きな声で泣き叫び、死者の魂を弔う(または復活を願う)「哭女(なきめ / 泣き女)」という職業がありました。アメノワカヒコの葬儀では、キジに、大きな声で泣く係(=哭女:ナキメ)という役割が与えられたということです。

 

 

まとめ

  • 『鬼滅の刃』の鳴女は琵琶の音で異空間「無限城」を操る上弦の肆であり、空間支配と索敵に特化した鬼である

  • 『古事記』における鳴女は高天原から遣わされたキジの使者であり、射殺されるが、その事件が「天の返し矢」の伝承へとつながる

  • 使者として「鳴く」鳴女、葬儀で泣く「哭女」、そして命を落とした「亡き女」という、神話特有の多重構造が見られる

 

 

『モアナと伝説の海』とハワイ神話の関係 日本神話との共通点を解説

ディズニー映画『モアナと伝説の海』は、美しい南太平洋の自然やポリネシアの伝統的な航海術をリアルに描いた人気作品です。

 作中に登場する世界観やキャラクターは、南太平洋のフィジー諸島やハワイに伝わる神話・伝承が元になっています。

 この記事では、『モアナ』のモデルとなったハワイ神話の創世記や人気キャラ「マウイ」の伝承、さらに日本の神話(国産み・国引きなど)との共通点について解説します。

 

 

 『モアナと伝説の海』のモデルはハワイ神話?

『モアナと伝説の海』の背景には、ハワイ神話の独特な自然観が深く関わっています。

 ハワイ神話の創世記には、男性神「ワケア」と女性神「パパワハナウモク」がハワイの島々を生み出したとされる伝承が存在します。  

日本神話において伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が日本列島を生み出した「国産み神話」と似ていますね。  

ふたりの間には「ホオ・ホクラカニ」という娘が生まれ、やがてワケアとの間に最初の子供「ハロアナカラウパリリ」が誕生します。しかし、残念ながら死産となってしまいました。  

ハロアナカラウパリリを埋葬した場所から植物が芽を出します。これこそが、ハワイの主食であり命の象徴とされる「タロイモ」の始まりです。

 その後生まれた2番目の子供「ハロワ」はハワイ人の祖先となり、兄である島々やタロイモを大切にすることで繁栄を築いていったといいます。

  英雄マウイの伝説

          『モアナと伝説の海』より

『モアナと伝説の海』に登場する半神半人のマウイは、ハワイ神話を語る上で欠かせない英雄です。

 

 マウイの母親は月の女神「ヒナ」、父親は人間の「アカラナ」であり、4人兄弟の末っ子として生まれました。

     『モアナと伝説の海』より

 先祖から授かった神聖な「魔法の巨大な釣り針」を手に、怪力を振るって人々を助ける姿は、まさに伝説のヒーローです。  

 

マウイの功績は多岐にわたります。

     『モアナと伝説の海』より

低かった空を押し上げ空を高くし、

     『モアナと伝説の海』より

火の起こし方を人間に教え、

    『モアナと伝説の海』より

太陽を縛り上げて昼の時間を長くし、

     『モアナと伝説の海』より

海の中から巨大な島を釣り上げたとされています。暮らしを豊かにするために自然の力に立ち向かう姿勢は、古代の人々の願いが形となったことを感謝しているように思えます。

 

 ハワイ神話と日本神話の共通点

ハワイ神話と日本の古事記・風土記などに記された神話には、多くの共通点が存在します。

 

マウイは誕生してすぐに海へ流されたという伝承があります。  これは、日本神話でイザナギとイザナミの間に生まれた最初の子供「ヒルコ(蛭子神)」が、葦舟に乗せられ川に流された説話と一致しています。

  マウイが魔法の釣り針で海から島を引き揚げた伝説は、『出雲国風土記』に登場する八束水臣津野命(やつかみずのおのみこと)の「国引き神話」を彷彿とさせます。  

また、縄文土器に見られる幾何学的な渦巻き模様と、劇中に登場する「テ・フィティの心」の模様や、体に刺青を入れる文化の類似性など、文化的なつながりを感じさせる要素が多々見られます。

            『モアナと伝説の海』より 

『モアナと伝説の海』にも登場したモアナの先祖たちは、すぐれた航海術とアウトリーガーカヌーを駆使して広大な太平洋を旅していました。

     『モアナと伝説の海』より

「 黒潮に乗って北上した人々の一部が日本列島の沿岸にたどり着き、文化や神話を伝えたのではないか」という歴史のロマンに思いを馳せると、映画の見方がさらに深まりますね。

 

まとめ 

  • 『モアナ』の背景にあるハワイ創世神話は、日本の国産み神話と共通する自然観を持っている。
  • 英雄マウイは人々の暮らしを良くするために様々な奇跡を起こした半神半人の英雄である。 
  • マウイの伝説には生まれてすぐ水に流された伝承や国引き説話など、日本神話との一致点がいくつも存在する。
  • 古代の航海者たちがカヌーで海を渡り、日本の文化にも影響を与えていたという壮大な歴史のロマンが感じられる。

 

 

呪術廻戦ドルゥヴ・ラクダワラの元ネタ・由来は?倭国大乱・卑弥呼との繋がりを日本史から解説

この記事では、『呪術廻戦』に登場するドルゥヴ・ラクダワラの元ネタ・由来について考察していきます。

 

 

 

呪術廻戦のドルゥヴ・ラクダワラとは

『呪術廻戦』173話より

死滅回游の仙台結界(コロニー)にて、四つ巴の一角として君臨していたドルゥヴ・ラクダワラ。

『呪術廻戦』173話より

作中では乙骨憂太によって速攻で撃破されてしまったため、そのセリフや性格は描かれませんでした。

『呪術廻戦』より

しかし、ドルゥヴ・ラクダワラは所持得点91点を誇り、特級呪霊の黒沐死(くろうるし)すら休眠を余儀なくされるほどの脅威として登場していました。

『呪術廻戦』より

ドルゥヴ・ラクダワラの術式は、二種の自立型式神を生成し、その「軌跡」を自らの必中領域とし、領域に触れた対照を削り取るというものです。 乙骨もコピーして使用して活躍していました。

『呪術廻戦』160話より

巨体を誇る式神が動き回るだけで広範な領域が自動的に拡張されていく仕組みは、倭国大乱にて単独で列島制圧を成し遂げたという実績を実現できそうな能力と言えます。

『呪術廻戦』173話より

一方で、当時の人口は日本列島全体でも約60万人程度と推測されており、現代(1.3億人)や平安時代(500万人)と比べると負の感情の総量や術師の強さが高くなかった可能性もありそうです。

 

乙骨に近接戦闘で瞬殺されているので…

 

ドルゥヴ・ラクダワラ名前の元ネタ・由来は?

公式展覧会等の情報によれば、「ドルゥヴ・ラクダワラ」という名前は受肉した現代人の名前であり、過去の術師本人の名前ではないようです。

 

受肉体のアニメでの褐色肌や、サンスクリット語(古代インドの言語)・シンハラ語(スリランカの公用語)に由来する名前から、器となった人物は南アジアにルーツを持つと考えられます。

アニメ『呪術廻戦』より

作品内で判明している中では最古「弥生時代(2世紀後半)」の人物であり、二度目の受肉を遂げたという経歴は謎に包まれています。

 

では、彼がかつて活躍したという「倭国大乱」とは、一体どのような時代背景だったのでしょうか。

 

ドルゥヴ・ラクダワラの元ネタ・由来は倭国大乱の鬼道?

ドルゥヴ・ラクダワラの経歴において最も重要なキーワードが、2世紀後半に起こったとされる「倭国大乱」です。

 

倭国大乱は、日本の歴史の中で実際にあった出来事であり、最古の大規模な戦争とも称されています。

 

倭国大乱が起きた当時の日本列島は小さな国々が激しく争う混迷の時代でした。

 

中国の『魏志倭人伝』という歴史書によると、長引く戦乱を収めるために一人の女王が擁立されたことが記されています。

倭国大乱を終息させた存在として『魏志倭人伝』に記されているのが、邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)なのです。

卑弥呼(ひみこ)については「鬼道(きどう)を事とし、よく衆を惑わす」と評され、呪術的な権威をもって国々をまとめていたことがわかります。

 

ドルゥヴ・ラクダワラが使った「式神の軌跡を領域とする」術式もまた、「鬼道」の一種だったのではないでしょうか。

 

だとすれば、ドルゥヴ・ラクダワラこそが邪馬台国の卑弥呼による倭国大乱の平定を裏で進めた人、あるいな卑弥呼本人、もしくは列島を武力で制圧したものの、最終的に卑弥呼の「鬼道」に敗れ、呪物として封印される道を選んだのかもしれないと想像を掻き立てられますね。

 

ドルゥヴ・ラクダワラの正体 八咫烏(ヤタガラス)との関係

アニメ『呪術廻戦』より

最後に、アニメ『呪術廻戦』3期のオープニングカットにおいて、ドルゥヴ・ラクダワラとともに描かれた「八咫烏(ヤタガラス)」について考察します。

八咫烏とは、初代神武天皇が九州から大和に東征した神話において、熊野(現在の和歌山県)から大和までの案内をつとめた3本足のカラスです。

神話では、神武天皇が大和に到着すると、もともと大和を支配していたナガスネヒコを倒し、大和を統治していたニギハヤヒを臣下とすることで、大和の王として即位します。

現在の天皇は神武天皇から脈々と続く血筋であると言われているため、大和政権を樹立した始祖である神武天皇と八咫烏(ヤタガラス)の神話と、ドルゥヴ・ラクダワラの列島制圧のイメージを組み合わせているのか。

あるいは倭国大乱を鬼道で平定した卑弥呼こそが、ドルゥヴ・ラクダワラの正体であり、その子孫が神武天皇率いる大和政権に繋がっていることを意図しているのでしょうか。 あるいは1度目の受肉した正体が神武天皇を導いた八咫烏ということなのでしょうか。

 

まとめ

  • 『呪術廻戦』のドルゥヴ・ラクダワラは、巨大な式神の「軌跡」を領域化する術式を持ち、2世紀後半の倭国大乱を単独で制圧したとされる作中最古の術師である
  • 『呪術廻戦』のドルゥヴ・ラクダワラの名前は、受肉した現代人の名前であり、過去の本名は不明である
  • ドルゥヴ・ラクダワラの能力は『魏志倭人伝』の倭国大乱と、それを治めた邪馬台国の女王、卑弥呼の鬼道が元ネタ・由来となっている可能性がある
  • アニメ『呪術廻戦』OPにおける八咫烏とドルゥヴ・ラクダワラの対比は、いずれも日本列島を制圧したという事績が共通している

古代の製鉄の歴史まとめ

 

葦原中国と褐鉄鉱

神武天皇の時代(1世紀)に青銅、褐鉄鉱の加工技術を持っていた一族

1世紀末~2世紀の鉄を加工する工房が丹後半島にあった

垂仁天皇(4世紀前半)に設定された鳥取部は褐鉄鉱を探す職業集団か?

 

和鉄と洋鉄の違い・369年に百済から七支刀がもたらされた

台湾では4世紀に砂鉄から鉄を生成する技術が南方から伝えられている

フィリピンでは紀元前500〜200年頃にはすでに鉄器時代に入っており南方経由で台湾に鉄の生成技術が伝えられている。ただし沖縄で発見される紀元前の鉄の成分は大陸からもたらされたものと一致しており、南方から日本列島に鉄技術がもたらわれた証拠は少ない。

 

 

その他のまとめ記事

 

【石上神宮特別展】石上神宮で観る日本刀の世界 ―日本刀のルーツ・大和の流派と名匠たち―

この記事は、奈良県天理市の石上神宮で開催された特別展「石上神宮で観る日本刀の世界 ―日本刀のルーツ・大和の流派と名匠たち―」に行った記録です。

 

 

石上神宮は、日本最古の神社の一つです。『古事記』において伊勢神宮と並び「神宮」と記されるのは石上神宮だけです。

 

古くからヤマト政権の武器庫としての役割を担ってきたこの場所で、日本刀のルーツに触れるイベントが開催されていました。

 

国宝「七支刀(しちしとう)」 とは

 

今回の展示の目玉は、4世紀後半に百済(くだら)から倭王に贈られたとされる国宝「七支刀」です。

  七枝刀は、刀身から左右に3本ずつ枝が分かれた計7本の刃を持つ、他に類を見ない姿をしています。

 

刀の両面には計61文字の金象嵌(きんぞうがん)による銘文があります 。

 

そこには「百済の王太子が倭王のために造ったもので、永く後世に伝え残すように」という、古代東アジアの交流を物語る熱いメッセージが刻まれています。

 

本展では、現代の名工・河内國平氏によって平成17年に製作された復元品も展示されており、当時の輝きを間近に感じることができました。

 

東大寺山古墳出土の鉄剣

東京国立博物館展示

もう一つの大きな見どころが、天理市の東大寺山古墳から出土した「中平銘金象嵌鉄刀(ちゅうへいめいきんぞうがんてっとう)」です。

 

 刀の背(棟)に、後漢の元号である「中平(ちゅうへい)」(西暦184年〜189年)の文字が金象嵌で刻まれています 。

 

これは日本で確認されている年号入りの鉄鏡・鉄剣の中でも最古級で、卑弥呼の時代を彷彿とさせる超一級の歴史資料です。

 

刻まれた24文字を現代語訳すると、「何度も熱して鍛え上げた優れた鉄刀であり、天上では神の動きに叶い、下界では禍を避けることができる」という意味です。

 

鉄の秘密

河内氏の特別講演の中では、刀の素材である「鉄」についても興味深い解説がありました。

 『もののけ姫』より

日本刀に使われる日本古来の「和鉄=たたら製鉄」は、近代的な「洋鉄」に比べて錆びにくいという特徴があるといいます。

 

その理由は、和鉄の中に極めて微細なガラス質の成分(スラグ)が層となって含まれており、それがバリアの役割を果たして内部への錆の進行を防ぐからだそうです。

河内氏の講演をAIでイメージ化

何百年も前の刀であっても研ぐことで、表面のサビを落とし、美しい姿を見ることができるのだそう。一方で洋鉄で作られた刀は内部までボロボロに錆びてしまうとのことです。

 

まとめ

  • 「刀剣の聖地」石上神宮で、1600年以上も前の古代刀から現代の作品まで鑑賞でき感動しました
  • 和鉄と洋鉄の違いの講演を聞き古代史を解明する上で重要なKeyとなる「たたら製鉄」への理解が深まりました

大阪天満宮・天神祭の歴史

この記事では日本三大祭りに数えられる大阪の「天神祭」の歴史について解説します。

 

 

天神祭の歴史は平安時代からはじまった?

 

天神祭の歴史は、今から約1,000年前の平安時代中期の951年(天暦5年)にまで遡ります。

当時の日本は疫病や災害が頻発していた時代でした。これら神が怒っているためだと考えた当時の人々が、神様の怒りを鎮める儀式として、大阪天満宮の前の大川(旧淀川)に「神鉾(かみほこ)」を流したのが天神祭の起源であるとされています。

流した「神鉾(かみほこ)」の流れ着いた場所に斎場を設けて禊(みそぎ)を行う神事は「鉾流神事(ほこながししんじ)」と呼ばれています。

鉾流し神事では、2尺5寸の白木で作られた神鉾を川に流します。神鉾が流れ着いた場所まで、神様の御霊(おみたま)を船に乗せて、(あるいはお迎えに)川を渡ったのが現在の「船渡御(ふなとぎょ)」の始まりです。

古代の人々にとって、水は罪や穢れ、そして疫病を遠くへ押し流してくれると信じられていたのですね。 例えば、古事記の神話にも黄泉の国へ行ったイザナギが穢れを洗い流し、体を清めるために水に入っています。

石ノ森章太郎『古事記』より

 

 

天神祭の始まりは菅原道真の怨霊?

菅原道真像(室町時代、荏柄天神社蔵)

根本的なルーツは菅原道真(すがわらのみちざね)の「怨霊(おんりょう)」を鎮めるための「御霊信仰(ごりょうしんこう)」にあります。

北野天神縁起絵巻 承久本 巻6 清涼殿落雷

当時たびたび降り重なった災難(疫病や天変地異)は菅原道真(すがわらのみちざね)の御神霊が引き起こしているものだと考えられていました。そのため、道真公の霊を鎮め、「神」として祀ることで災いを防ごうとしたのが始まりです。

 

菅原道真が怨霊となった経緯を以下にまとめておきます。

『日本の歴史24』より

道真公の死と怨霊伝説(903年〜)

無実の罪で太宰府へ左遷された菅原道真が亡くなった後、都(京都)では落雷や疫病、政敵の相次ぐ怪死など天災・奇異が続発しました。人々はこれを「道真の怨霊の仕業」と考え、雷神・「天満大自在天神」として祀るようになりました。

菅原道真 大宰府までの推定経路

大阪天満宮の創建(949年)

道真ゆかりの地(かつて太宰府へ向かう途中に参拝したとされる場所)に、村上天皇の命によって大阪天満宮が建てられました。

 

祭りの始まり(951年) 天満宮が建った2年後、社前の大川(旧淀川)に「神鉾(かみぼこ)」を流し、それが流れ着いた場所に仮宮(お旅所)を設けて神霊をお迎えした「鉾流し神事」と「船渡御(ふなとぎょ)」が行われました。

 

当初は怨霊として恐れられていた道真公ですが、時を経るにつれて、大阪の人々にとっては「学問・芸能の神様」や「商売繁盛の守護神」として親しまれるようになっていったのです。

 

現在では怨霊を恐れるお祭りというよりも、水都・大阪の繁栄と人々の無病息災を祝う夏祭りとして親しまれています。 

 

 

まとめ

  • 天神祭の鉾流神事は、平安時代から続く「水に穢れを流す」という古代の祈りの形を今に伝えている 
  • 天神祭の歴史は菅原道真の怨霊を鎮めるために始まった

 

和邇氏(わにうじ)とは

この記事では、古代豪族の「和邇氏(わにうじ)」について考察します。

 

 

 

和邇氏(わにうじ)のルーツは皇族?

 

『古事記』や『日本書紀』といった記紀の系譜によると、和邇氏は第5代孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする「皇別氏族」とされています。

ヤマト王権の皇族から分かれた氏族であれば、太陽神であるアマテラスオオミカミを祖神として崇めるのが自然です。しかし、和邇氏(わにうじ)は、海生生物の「ワニ」を自らのトーテム(一族の象徴となる野生動物)としている点が異なります。

 

龍蛇・鰐信仰を持っていた海人族の阿曇族と類似することから、本来は阿曇連と同族ではないかという説もあります。

 

和邇氏(わにうじ)は、太陽と農耕を敬うヤマト王権に対し、別系統の「海の信仰」を頑なに持ち続けた一族であることがわかります。

日本神話に登場するワニとは? 海洋民族和珥氏は縄文時代にやって来た南方系の民族か? - 古代史好きなサラリーマンのブログ

個人的には、系図で天火明命の末裔とするのは、縄文由来の海の民の正統な血筋であることを主張したかったためと考えています。

 

 

和邇氏(わにうじ)の勢力地

海の民であった和邇氏(わにうじ)は日本海沿岸から琵琶湖周辺の地域を拠点に勢力を伸ばしていたと考えています。

10代崇神天皇の異母弟として彦坐王(ひこいますのみこ)がいます。

近江、丹波、美濃には彦坐王(ひこいますのみこ)によって開拓されたという伝承や祭神とする神社が多くあることから、近江一帯を勢力として事が推測されます。

彦坐王(ひこいますのみこ)の母は和邇氏(わにうじ)の娘であることから、彼はヤマト政府と邇氏(わにうじ)の両家の血を引く人物としてこの広い地域を治めていたことがわかります。

近江周辺を支配していた和邇氏(わにうじ)は、やがて、大和(現在の奈良県)へ進出していきます。

 

彦坐王の子が丹後半島を開拓した?

 

10代崇神天皇の代に起こった「武埴安彦(たけはにやすひこ)の乱」の際には、大和で挙兵した事が記されています。

『古事記』『日本書紀』によれば、8代孝元天皇の皇子の武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)が10代崇神天皇の時代に反乱を起こしたとして、和邇氏(わにうじ)の彦国葺命(ひこくにふくのみこと)が、鎮圧しました。

反乱に敗れた武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)は、京都府相楽郡精華町祝園にある「祝園神社(ほうそのじんじゃ)」に祭神として祀られています。

彦国葺命(ひこくにふくのみこと)は、和珥武鐰坂(わにのたけすきのさか)(現在の奈良県天理市和爾町付近)に精兵を率いて、北の木津川方面へ進軍したとあるので、このころには既に和邇氏(わにうじ)は大和に拠点を持っていたことがわかります。

和邇氏(わにうじ)が勢力を構えていた奈良盆地の北側の大和国添上郡

崇神天皇の時代(3世紀後半と推定)から100年ほどたつと大和国添上郡に古墳が築造されはじめます。特に東大寺山古墳からは、後漢の年号である「中平※」が刻まれている鉄剣が出土しています。

 

 ※中平(ちゅうへい):後漢の第12代皇帝・霊帝の治世の元号で、西暦184年から189年にかけて使用された

 

和邇氏(わにうじ)の本拠地の古墳から、大陸由来とみられる貴重な鉄刀などが出土していることも、海洋民としての大陸とのネットワークの強さを物語っていると言えますね。

 

大和政権と和邇氏(わにうじ)の関係

 

和邇氏(わにうじ)の特徴は、大和政権との婚姻関係の強力さです。のちに大化の改新を経て台頭する藤原氏を除けば、古代において最大数の皇后・后妃を大王(天皇)家に輩出しているのがこの和邇氏(わにうじ)です。

なぜ和邇氏(わにうじ)がこれほど強い力を持ち続けたのか、その理由について考察していきます。

 

初期のヤマト政権は、奈良盆地を基盤とする農耕主体の勢力でした。しかし、大陸からの新しい技術、文化を導入するためには、日本海や瀬戸内海へと繋がる「ルート」と「操船技術」が不可欠です。

そこでヤマト政権が目を付けたのは、(宇治川→琵琶湖→若狭湾→日本海)へと抜ける北回りのルートでした。

国土交通省 日本の川より

奈良盆地から一歩外へ出て、日本海からの富(鉄など)を安定して手に入れたいヤマト政権(山側の農耕民)にとって、北側に立ちはだかる琵琶湖ルートを安全に通過することは最優先事項でした。

 

しかし、琵琶湖には縄文時代※以前から、水上を支配する和邇氏のネットワークが根付いており、力づくで奪おうとすれば、大損害を被るか、最悪の場合ルートを封鎖される可能性すらあります。

 

※福井県の若狭湾周辺や琵琶湖周辺には、縄文時代・弥生時代の巨大な貝塚や遺跡が数多く存在しており、太古の昔から丸木舟などを巧みに操り、日本海と琵琶湖を行き来していた高度な海洋民(海人族)がいたことが証明されている。

 

そこで、ヤマト政権は、「和邇氏の娘を大王の妃(后)として迎え、家族・親族関係になる」ことで、その強大な海の力(航海術、水軍力、交易利権)を味方につけたのではないでしょうか。

石ノ森章太郎『古事記』より

例えば、記紀神話(山幸彦と海幸彦の物語など)でも、天孫(天皇家の祖先)が海の神の娘(トヨタマヒメ)と結婚することで、海の霊力を獲得するエピソードが描かれています。

 

やがて、ヤマト政権と和邇氏(わにうじ)の婚姻関係は一時的な同盟ではなく、世代を超えた「慣例」となっていきます。

 

大王家にとっては「和邇氏の血を引く王子・王女」であるからこそ、海民(和邇氏)のネットワークをスムーズに動かす正統性が得られ、和邇氏側にとっても、自分たちの娘が大王の后となり、次の大王の母(外戚)になることは、近江や日本海側の自治権や交易利権が保障されるのでWin-Winだったわけですね。

 

 

 

まとめ

  • 皇族の系譜でありながら、「ワニ」をトーテムとする独自の信仰を保ち続けた
  • 藤原氏以前では最多の后妃を送り込みながら、直系からは一人も大王を出さなかった
  • 日本海から琵琶湖へと広がる海洋民のネットワークを背景に、ヤマト王権と対等な一大勢力を築いていた可能性がある
  • 和邇氏は、婚姻を通じて外交的に共存する道を選んだ