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ドイツ人のルーツ?ゲルマン人とは?

ゲルマン人とは?

ゲルマンとはラテン人(古代ローマ人)が呼んだ言葉です。

TANTANの雑学と哲学の小部屋より

古代ローマ時代ラテン人は現在のフランスに住むケルト人をガリア人と呼び、ライン川より東、ドナウ川より北の現在のドイツあたりに住む人をゲルマン人と呼びました。

現代の西洋で使われる言語はざっくりと2つの系統に分ける事ができます。

ラテン語から派生したのがイタリア語、フランス語、スペイン語

ゲルマン語からはドイツ語、英語、オランダ語デンマーク語、スウェーデン語が派生しました。

 

英語とフランス語は文法が異なるのに似ているのは11世紀のノルマンコンクエストでフランス語の語彙がイギリスにもたらされた事が原因です。

 

史書におけるゲルマン人

ゲルマン人がローマの歴史に出てくるのは、紀元前1世紀に書かれた『ガリア戦記』や1世紀に書かれた『ゲルマニア』です。

 

ガリアと呼ばれたエリアはカエサルの制服後にローマに組み入れられ、文化的にもローマ化されていました。一方で川で隔てられたゲルマニア(ゲルマン人の地)はそれまでの生活様式が保たれたようです。

 

ガリア戦記』の中で「ゲルマン人は農耕を好まず、生活は狩猟と武芸に励んでいる。宗教は自然信仰で太陽や月や火を神とみなす」とかかれています。

 

ゲルマン民族の広がり

ゲルマン人はどこからきたのでしょうか。

ゲルマン系諸語を話すグループは、言語の特徴からインド=ヨーロッパ語族に分類されます。

インド=ヨーロッパ語族は紀元前2000年ごろに拡散して、そのうちドイツ北部からスカンディナビア半島南部にかけて定住した人が後のゲルマン人と呼ばれます。

スカンディナビア半島といえば中世の「ヴァイキング」を思い浮かべますがルーツは同じだったのですね。

 

ゲルマン人の移動

寒冷化により食料生産が低迷すると余裕の少ない遊牧騎馬民族が他民族へ侵略するようになります。

4世紀後半になるとトルコ系ともモンゴル系とも言われるフン族がヨーロッパに侵入してきます。東ヨーロッパに住んでいたゲルマン系諸民族は押し出されるように西へ移動してきます。この移動は200年あまり続いたようです。

 

 

ゲルマン人が建国した王国

ブルグンド

ドイツ北部スカンディナビア南部出身のブルグンド族は末期ローマ帝国から同盟者とされるも、ローマに攻撃を繰り返し、ローマ帝国崩壊後にフランス南部に「ブルグンド王国」を立てます。

ブルグンド王国は6世紀にフランク王国に征服されますが、その地はブルゴーニュ(ブルグンドの地)と今でも呼ばれています。ブルゴーニュはワインで有名ですね。

ランゴバルド

イタリア北部に勢力を持ったランゴバルド族もフランク王国カール大帝に征服されますが、ロンバルディア州として残っています。

東ゴート

西ローマ帝国ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって終焉を迎えますが、オドアケルゲルマン民族東ゴート族によって倒されます。

 

東ゴート族は王国を建国しますが少数派で住民の9割はラテン人だったとされています。東ゴート王国東ローマ帝国ナルサスに滅ぼされるとゴート族の言葉は失われイタリアに同化してしまいます。

イタリア人はゴート族を野蛮人と考えていたようで12世紀にドイツやフランスで流行ったトゲトゲの教会建築を野蛮と揶揄してゴート風を意味する「ゴシック」と呼びました。

西ゴート

現在のスパインに到達した西ゴート族は現地人と同化。土着のイベリア人、ローマ領となってから入ってきたケルト人やラテン人と混ざってスペイン人やポルトガル人の元となります。

ヴァンダル

ヴァンダル族は定住せずに略奪を繰り返していた事からか、英語でVandalize(破壊する、傷つける)の語源になっています。一時はローマ帝国の居住許可によりスペインのアンダルシアに住んでいましたが、西ゴート族と争った結果北アメリカのカルタゴを占領しヴァンダル王国を建てます。

ヴァンダル王国は455年に一時的にローマを占領し東ローマ帝国の艦隊を壊滅させたが、ガイセリック王の死後はイタリアにの東ゴート族と対立して弱体化し、東ローマのベリサリウスによって滅ぼされます。

アングロサクソン

アングル族とサクソン族は現在のイングランドに侵入。先住民のケルト人を追いやって七王国に別れて覇権を争います。

 

後にアングル族とサクソン族は同化してアングロ=サクソンとなり、イギリスの主要民族となります。

フランク

フランス北部に侵入したフランク族キリスト教の宗派を変えた事で大きな影響力を持つようになります。

 

ゲルマン民族の多くはローマ教会から異端とされたアリウス派を信じており、フランク族も例外ではありませんでした。5世紀末のクローヴィスは正統とされていたアタナシウス派に改宗すると元々住んでいたローマ系住民やキリスト教会から支持を得ることに成功しました。

時代が進みイスラムが台頭して、東ローマ帝国が衰えた頃、フランク王国イスラム軍を「トゥール・パワティエ間の戦い」で破ります。この事件はキリスト教世界での権威を高めることになります。

カール大帝の頃現在のフランス、イタリア、ドイツの大部分を掌握します。

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