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ゴールデンカムイと日本史②ニヴフとは

ゴールデンカムイに登場する樺太少数民族ニヴフについて調べてみました。

 

ニヴフとは?

ニヴフとはロシア極東部、アムール川(黒竜江)流域から樺太北部(サハリン州)にかけて居住している少数民族です。(1979年の人口調査で約4,400人)

 

地域が隣接している樺太アイヌとも、ツングース満洲系諸族やモンゴル系民族など周辺の民族とは系統の異なる民族であり、古シベリア諸語(旧アジア諸語)の一つである固有の言語ニヴフ語を話します。

 

 

かつて日本領だったことがある北緯50度以南にも居住しており、戦前、戦後には北海道に移住した人もいたそうです。

 

 

ニヴフの由来

ニヴフ語で「人」という意味です。ロシア語ではニヴフのことをギリヤーク(Gilyak)と呼んでおり、日本でも明治〜昭和にかけてギリヤークと呼んでいました。

日本書紀』の阿倍比羅夫(あべのひらふ)の北海道遠征では粛慎 (みしはせ)という集団が登場しますが、北海道から樺太まで広がっていたオホーツク文化人を指すのではないかと言われています。

手塚治虫火の鳥

「斉明4 (658) 年水軍 180隻を率いて蝦夷を討ち,飽田 (あぎた) ,渟代 (ぬしろ) 2郡を下す。帰順の誓約をした飽田蝦夷恩荷 (おが) に小乙上を授け,渟代,津軽2郡の郡領を設置し,渡嶋 (おしま) の蝦夷を集めて大饗し撫柔。さらに粛慎 (みしはせ) を討ち,生きたクマ2頭,ヒグマの皮 70枚を献じた。」

13世紀のモンゴルの記述には「吉里迷」と記されています。 

魚皮衣 Wikipediaより

17世紀の中国、明代の記録には「魚皮部」と記録されており、ニヴフがサケの皮を使って衣服を作る習慣を由来する名称です。

1700年(元禄13年)、松前藩江戸幕府に提出した『松前島郷帳』の「からと島」の項に「おれかた」「にくふん」の記載があり「にくふん」はニヴフと考えられます。

 

 

考古学的にみるニヴフの歴史

ニヴフはこの地域の新石器時代からの文化的伝統を継承してきた最も古い先住民(のひとつ)であるとするのが定説となっています

3世紀に樺太南部から北海道北部に起こったオホーツク文化の担い手はニヴフであると考えられます。オホーツク文化の遺跡からは海獣や魚の骨が出土し海洋民であったことがわかります。

また、熊の頭骨を祀った遺跡も発見されておりますが、この時期の原アイヌ文化には熊崇拝の後は見られません。すなわち、アイヌの熊送り(イオマンテ)はオホーツク文化が由来であった可能性があります。

 

 

遺伝子からみるニヴフのルーツ

旧石器時代という古い時代からニヴフアムール川流域〜樺太に居住したニヴフの起源を考えてみます。

 

人類は5万年前にアフリカを出発して世界に拡散したわけですが、アフリカから東に進んだ人類の前に大きな試練が待ち受けていました。

 

それがヒマラヤ山脈です。

 

 

人類はヒマラヤにを避けるように二つのルートを進んでいくことになります。①海岸沿いを東へ進んだグループと②イランを通って高原へ向かったグループです。

 

ニヴフのルーツは②ではないかと考えています。

ニヴフのDNAの大半を占めるのC遺伝子は新モンゴロイドと呼ばれ寒冷なシベリアを通って中国、朝鮮、日本人に一部受け継がれている遺伝子だからです。

 

ニヴフY染色体ハプログループの構成はTajima et al.(2004)より

C2 38.1%

O(O1a,O2を除く)28.6%

P(R1aを除く)19.0%、

R1a 9.5%

その他(A,B,C,D,E,Kを除く)4.8%

 

ウラジーミル・ニコラエヴィチ・ハリコフ(露)が2012年に行ったサハリン州の52人のニヴフ族のY染色体ハプログループの分析では

C 271%

O 27.7%

Q 7.7%

D1 5.8%

O1a 3.8%

O1b 1.9%

N 1.9%

 

 

ツングース系民族 :ツングース語族に属する言語を話す人々。

 

C遺伝子にも色々種類があるようなので詳しく調べてみたいと思います。

 

 

阿倍比羅夫が登場します。

DNAハプログループから日本人の源流を考察しています。

 

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