古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きなサラリーマンが全国を旅した発見を書き連ねます。

新潟旅①神武東征と天香山命

過去に丹後の天橋立(あまのはしだて)旅行をきっかけに、『海部氏系図』から彦火明命(ヒコホアカリノミコト)の一族が日本沿岸に勢力を持っていたと推測しました。

 

ヒコホアカリの子、天香山命(アメノカゴヤマノミコト)は越後国(えちごのくに)(現在の新潟県)の弥彦神社に祀られていると聞いて興味を持ち天香山命弥彦神社について調べることにしました。

天香山命とは?

天香山命(あまのかぐやまのみこと)は『先代旧事本紀』では、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)と天道日女命(あめのみちひめのみこと)との間に生まれた神です。

天香山命尾張氏等の祖神とされ、物部氏等の祖神である宇摩志摩治命(うましまぢ)とは母神を異にする兄弟神となっています。

 

先代旧事本紀』の「天神本紀」では、天香山命饒速日尊(にぎはやひのみこと)の天孫降臨に従った32の神の1柱に数えられています。

 

天孫本紀」では、紀伊国の熊野邑(和歌山県新宮市や紀ノ川流域が比定地になっている。)に住み、別名を「手栗彦命(たくりひこ)」、または「高倉下命(たかくらじのみこと)」というとあります。

新潟県彌彦神社の社伝には、神武天皇大和国平定後、天香山命が勅命を受け越国を平定、開拓に従事したと伝えられています。

 

これらの情報をまとめると、天香山命は父の饒速日と一緒に天孫降臨して日本列島にやってきた。紀伊国(きいのくに)(現在の和歌山県)越後国(現在の新潟県)にゆかりがある神だとわかります。

 

天香山命を祀る神社として、新潟県には彌彦神社 、魚沼神社、愛知県には尾張戸神社があります。

 

天香山命が活躍した神武東征神話

天香山命といえば、有名なのは神武東征神話に登場する次のエピソードです。

古事記の事実』より

高千穂にいた神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)(後の神武天皇)は東に良い土地があると聞いて海を渡り、大阪にある青雲の白肩津(あおくものしらかたのつ)にたどり着きます。

※アシタカ『となりのトトロ』より

河内(大阪)に上陸しようとしたイワレビコ一向でしたが、すでに河内を治めていた長髄彦(ながすねひこ)と戦いになります。最終的に長髄彦が勝利します。

長髄彦:脛(すね)が長いと脚が高いと似てるのでアシタカの画像でイメージしていきます。

イワレビコ一向は敗北したのは太陽の神天照大神の子孫でありながら、太陽の昇る東を向いて攻撃したからだ、と分析しまし、熊野(現在の和歌山県)経由で太陽を背負って戦うことのできる東側から再び河内を攻めることとしました。

 

しかし、熊野に到着したイワレビコ一向の前に現れたのが、巨大な熊の姿をした幻影が登場し、その姿を見るとイワレビコ達は昏睡状態になってしまいます。

昏睡状態になったピンチを救ったのが高倉下命(タカクラジノミコト)と言われています。かけつけた高倉下命は武甕槌(たけみかづち)からさずかった霊剣 布都御魂(ふつのみたま)を使って山の神を追い払い、イワレビコ達は昏睡から目を覚ましたといいます。

高倉下から霊剣を受け取った神武一向は、長髄彦を倒し、大和で神武天皇として即位しました。

神武天皇が即位した後、神武天皇は高倉下を高志国(こしのくに)(越後国)に派遣します。海を渡った高倉下命は海からも目立つ弥彦山に上陸し、高志国を治めたと言われています。

冒頭で述べたように『先代旧事本紀』の「天神本紀」では、高倉下命は天香山命と同一人物とされているのです。

 

古事記神話に加えられた天香山命

高倉下命が天香山命と同一人物とすると、天香山命神武天皇の時代の人物ということになります。しかし、この神話は『海部氏系図』と矛盾することとなるのです。

 

『海部氏系図(あまべしけいず)』は、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家、海部氏に伝わる系図で、饒速日と同一人物とされる彦火明命(ひこほあかりのみこと)の一族が示されています。

丹後にある元伊勢籠神社の倭宿禰

元伊勢籠神社の社伝によると、神武天皇明石海峡にたどり着いたとき、彦火明(ヒコホアカリ)一族の4代目倭宿禰亀に乗って現れて、神武天皇を案内したと言われています。

彦火明を当主とすると天香山命は2代目、倭宿禰は4代目となるため、神武天皇接触したはずの二人におよそ50年ほどの年齢差があることになります。

 

20歳の倭宿禰命が海で神武天皇を導き、70歳の天香山命が山で神武天皇を助けたとは考えづらい…と混乱していると、『海部氏系図』には天村雲命の弟として、“弟熊野高倉下 母大屋津比賣命”と注記されておりさらに混乱します。

 

今回は『海部氏系図』が正しいと仮定して次のように考えました。

 

時が経って大和政権の権力が高まると、各地の豪族は自らの氏神を大和政権の神話に登場させたいムーブメントが起きた。あるいは大和政権が各地を支配するための手段として、「各地の氏神は大和政権の神の末裔や協力者である」と表明し信仰を統治に利用した。

 

彦火明命の末裔は、倭宿禰神武天皇を導いた逸話を大和政権に伝えた結果、高倉下命として採用されたのではないでしょうか。

 

弥彦大神と天香山命は同一人物なのか?

弥彦神社の祭神である伊夜日古大神(いやひこおおかみ)は天香山命(あめのかごやま)と同一人物とされています。これは「〇〇神は〇〇仏の化身だよ」と後付けした神仏習合に似た現象ではないかと個人的には考えています。

 

その理由は過去の記事でもまとめたように、彦火明一族は日本海沿岸部に勢力を拡大していったように推測できるからです。

二神が同一視されたストーリーを想像していきます。伊夜日古大神(いやひこおおかみ)は画像が無かったのでNARUTOのキャラクターの弥彦を用いていきます。

越後には古来から弥彦という権力者がいた。

もしかすると中国の越の国の生き残りかもわかりません。

そこに出雲族壱岐島対馬を拠点とする海の民と結びついて日本海沿岸を掌握したヒコホアカリ一族の2代目天香山命越後国まで勢力を拡大した。弥彦一族を倒したのか、同化したのかはわかりませんが、海からでも見える弥彦山を本拠地として国づくりを行ったのでしょう。

 

まとめ

天香山命は高倉下命と弥彦と同一人物として信仰されている。

・神武東征で活躍した高倉下命と倭宿禰命は異なる時代の人物であり矛盾が生じる。

・祭神を同一視する背景として大和政権の神話に地方氏神を神入れようとしたか。