ワンピース第1110話にて五老星の一人、サターン聖の能力が牛鬼(ぎゅうき)と明かされました。
日本史と牛鬼(ぎゅうき)の関わりについてまとめていきたいと思います。
牛鬼(ぎゅうき)とは?
佐脇嵩之『百怪図巻』の「うし鬼」
牛鬼(ぎゅうき)は、主に西日本(九州〜三重県あたり)に伝わる妖怪で、海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲うと恐れられています。
牛鬼(ぎゅうき)の姿は頭が牛で首から下は鬼の胴体を持ち、各地の伝承の多くは、牛鬼(ぎゅうき)は非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好むと伝えられています。
各地に伝わる伝承の中から日本史に関わるものを2つご紹介します。
神功皇后の牛鬼(ぎゅうき)退治
牛鬼(ぎゅうき)伝説の中でも最も古い時代の逸話が岡山県牛窓町(うしまどちょう)(現・瀬戸内市)に伝わる話です。
14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)(推定4世紀)の皇后である神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐の途中、同地にて塵輪鬼(じんりんき)という頭が八つの大牛に襲われます。
●神功皇后の記事↓
神功皇后は自ら弓で大牛を射殺したところ、塵輪鬼は頭、胴、尾に分かれてそれぞれ牛窓の黄島、前島、青島となったと言われています。
神功皇后が新羅から帰国すると、成仏できなかった塵輪鬼(じんりんき)が牛鬼(ぎゅうき)に化けて再度襲い掛かります。住吉明神が角をつかんで投げ飛ばし、牛鬼(ぎゅうき)が滅んだ後、体の部分がバラバラになって黒島、中ノ小島、端ノ小島に変化したといいます。
牛窓(うしまど)の地名は、この伝説の地を牛転(うしまろび)と呼んだものが訛ったことが由来との説があります。
また、鎌倉時代に成立した八幡神の神威を紹介する神道書『八幡愚童訓』にも塵輪(じんりん)という鬼が仲哀天皇と戦ったことが記されており、牛窓町の伝承の由来とされています。
古典に登場する牛鬼
民間伝承上の牛鬼(ぎゅうき)は西日本に多く伝わっていますが、古典では東京の浅草周辺に牛鬼(ぎゅうき)に類する妖怪が現れたという記述が多いようです。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には以下の伝説があります。建長3年(1251年)浅草寺に牛のような妖怪が現れ、食堂にいた僧侶たち24人が悪気を受けて病に侵され、7人が死亡した。
『新編武蔵風土記稿』は『吾妻鏡』を引用し、隅田川から牛鬼(ぎゅうき)のような妖怪が現れ、浅草の対岸にある牛島神社に飛び込み、「牛玉」という玉を残したと述べられています。この牛玉は牛嶋神社の社宝となり、牛鬼(ぎゅうき)は神として祀られ、境内には狛犬の代わりに狛牛が飾られています。
牛嶋神社には「撫で牛」の像があり、自身の悪い部位を撫でると病気が治ると言われています。
強い災いをもたらす神の力を逆に利用して守護神とする方法は神道でよく見られますが、今回も病をもたらす牛を神として祀る事によって、病気を治す神にしていますね。
牛鬼(ぎゅうき)と牛頭天王
- 価格: 3850 円
- 楽天で詳細を見る
牛鬼(ぎゅうき)だけでなく「牛」は古来から病をもたらす存在として考えられていたようです。例えば、京都の祇園祭で有名な八坂神社の起源は、平安時代に流行した疫病を治めるために「牛頭天王(ごずてんのう)」が祀られたことが始まりです。
牛頭天王は祇園精舎の守護神ですが、時には荒ぶって人々に病をもたらすこともあるとされており、強い力に対して厄除けの神として信仰されているのです。
『ワンピース』においても五老星のサターン聖が牛鬼(ぎゅうき)に変身した後、爪の先に触れたモノを毒で溶かすシーンがありました。 牛鬼(ぎゅうき)の病をもたらす性格を当てはめているのですね。
まとめ
・牛鬼(ぎゅうき)伝承は西日本に多く、古いものは岡山県牛窓町の神功皇后の鬼退治がある。
・東日本においても古典では東京の浅草寺の記事があり、牛嶋神社の由来となっている。
・牛鬼(ぎゅうき)、牛頭天王は共通して病をもたらす存在であり、厄除けの神である。
日本列島に牛がやってきたのは5.6世紀と言われていますが、当時牛が渡来する事で日本列島人が免疫を持たない感染症が広がったのでしょうか。想像は膨らみます。
その他の五老星の能力と日本史の関係