古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きです。

神武天皇の年齢は127歳だったのか?

初代天皇と言われる神武天皇は九州から大和へ東征を行い大和を都と定めて大和政権を立ち上げた人物と言われています。

 

古事記』『日本書紀』によると神武天皇は紀元前600年代の人物と言われていますが、実在が確認されている天皇系図から遡っていくと、1人の天皇の寿命長すぎる問題が発生します。

 

おそらく『記紀』を編纂する時に『魏志倭人伝』の卑弥呼神功皇后を一致させたいために辻褄を合わせようとした結果と思われますが、ややこしいので天皇系図からざっくり遡ってみることにしました。

 

 

 

方法

記紀』の系図は正しいと仮定して、実在が確認されている天皇の誕生年を元に先代の天皇の年代を推測します。

 

実在が確認されている天皇は『古事記』が編纂された711年の元明天皇から遡っていくこととします。

 

 

 

 

元明天皇継体天皇の時代

43代元明天皇

誕生:661年

天智天皇が35歳で誕生。

 

38代天智天皇

誕生:626年

舒明天皇が33歳で誕生

 

34代舒明天皇

誕生:593年

敏達天皇(祖父)が55歳で誕生

 

忍坂彦人大兄王子(おしさかのひこひとのおおえのみこ) 

誕生:不明

 

30代敏達天皇

誕生:538年

欽明天皇が29歳で誕生

 

29代欽明天皇

誕生:509年

継体天皇が59歳で誕生

 

26代継体天皇

誕生:450年

 

 

古事記』が編纂されてから261年前までの系譜を振り返る事ができました。先代の誕生年が不明な継体天皇を除くと平均29.3歳で次代の天皇が生まれています。

 

 

 

 

継体天皇の時代

 

25代武烈天皇の後継者が居なくなった際に応神天皇の血を受け継ぐ(五世孫)として即位した謎の天皇(26代継体天皇)がおり、これ以上過去の年代をさかのぼるのが難しくなってしまいました。

継体天皇像(福井県)Wikipediaより

北陸に居た継体天皇は大和に連れて来られ、507年に57歳で即位。前妻との間に生まれた27代安閑天皇、28代宣化天皇が跡を継いで即位しています。

27代安閑天皇

誕生:466年

継体天皇が16歳で誕生

66歳に即位するが4年で崩御

 

28代宣化天皇

誕生:467年

継体天皇が17歳で誕生

69歳で即位するが3年で崩御

 

 

武烈天皇の妹で24代仁賢天皇の血を引く手白香皇女(たしらかのひめみこ)と継体天皇の間に生まれたのが29代欽明天皇です。

 

手白香皇女(古事記では手白髪命)

誕生:489年

39歳で欽明天皇を出産したことになります。この時継体天皇は59歳ですので生物学的にはかなりの高齢カップルですね。

 

継体天皇は531年81歳で崩御します。

 

継体天皇応神天皇の時代

継体天皇応神天皇の4世代孫とされておりますが父方の誕生年は不明です。そこで1世代(父と子)の年齢差を20歳と仮定した(継体天皇安閑天皇の年齢差が16歳より)結果、応神天皇の誕生年は350年と推測することができました。

日本書紀』によれば応神天皇は200年に誕生したとあり、150年の差が生まれてしまいました。

しかし『日本書紀』では応神天皇は310年110歳で亡くなったとされているので疑いの目で見る必要があるかと思います。

 

これは応神天皇の母神功皇后卑弥呼とするために辻褄を合わせたと考えられます。『魏志倭人伝』に卑弥呼の死亡年は247年と記されているためです。

 

日本書紀』は大和政権が日本を代表する政府として外交を行う際に、海外政府に対して天皇の正当性を示すために作成された歴史書です。そのため中国の役人が読めるように漢文で書かれています。(古事記は漢字ですが日本語の発音に漢字を当てはめています)

欽明天皇元明天皇期間の次代天皇との年齢差が29歳なので、1世代(父と子)の年齢差を30歳と推定した結果、応神天皇の誕生年は西暦300年となります。少し記紀の記載に近づいたものの100年の差があります。

 

記紀の系譜が正しく、応神天皇が実在したとすれば応神天皇の誕生年は西暦300年〜350年の間と考えられます。

 

 

 

武烈天皇応神天皇の時代

継体天皇の先代である25代武烈天皇からさかのぼってみることにしましたが、誕生年不明のため不可能でした。

25代武烈天皇

誕生:不明

在位:8年間

499年即位506年崩御

 

24代仁賢天皇

誕生:不明

在位:10年間

488年即位498年崩御

 

武烈天皇の年齢は不明ですが、継体天皇と同世代の人物なので、誕生年を継体天皇と同じ450年としてみます。

1世代の年齢差を20年とした場合

1世代の年齢差を30年とした場合

世界遺産に指定された大仙陵古墳(大阪府堺市)は考古学的には5世紀前期ー中期に築造されたと考えられています。仁徳天皇の誕生は西暦330年〜370年と推測すると大仙陵古墳仁徳天皇よりも後の世代の大王であると思います。

 

大仙陵古墳の埋葬者に関する記事はこちら↓

rekitabi.hatenablog.com

 

 

獲加多支鹵大王は雄略天皇か?

稲荷山古墳(埼玉県行田市)から出土した鉄剣に記された辛亥年を471年とした時に、鉄剣に刻まれた獲加多支鹵大王を21代雄略天皇(大泊瀬幼武おおはつせわかたけ)としています。

応神天皇を300-350年代とすると雄略天皇は390-410年に誕生したと推測できます。

390年に誕生したとすれば471年には81歳

410年に誕生したとすれば471年には61歳

となり鉄剣が作られたと刻まれた辛亥年(471年)におおよそ一致します。

 

応神天皇神武天皇の時代

卑弥呼が亡くなった247年は11代垂仁天皇〜12代景行天皇の治世であった事が推測されます。

rekitabi.hatenablog.com

初代神武天皇は紀元前120年ー70年に誕生したのではないかと考えます。

 

卑弥呼神武天皇が登場します。