ワンピース第1110話にて五老星の一人、マーカス・マーズ聖の能力が以津真天(いつまで)と明かされました。
以津真天(いつまで)とは何なのかまとめていきます!
以津真天(いつまで)とは
以津真天(いつまで)は、江戸時代の画家、鳥山石燕が描いた妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある怪鳥です。『太平記』巻12の「広有射怪鳥事」に登場する怪鳥を題材に創られた妖怪と解説されています。
以津真天(いつまで)が登場する『太平記』とは?
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を始めましたが、足利尊氏(あしかがたかうじ)に敗れ、吉野に「南朝」を開きました。これを機に半世紀以上にわたって、日本に二人の天皇・二つの政権がならび立って、それぞれにつらなる貴族や武士たちが、入り乱れて対立抗争し、離合集散をくり返した、南北朝時代となります。『太平記』とは南北朝時代の大動乱期を描いた軍記物です。
以津真天(いつまで)は実在した?
以津真天(いつまで)は『太平記』の12巻に登場します。
1334年(建武元年)の秋、当時の京では疫病が流行して病死者が多く出たといいます。
鎌倉幕府滅亡によって政治の舞台が京都に移り、今後どんな政治を行うべきかと揉めている頃だったためでしょうか、沢山の死者の遺体が放置されていたといいます。
そんな中、紫宸殿(ししんでん)という帝が政務を行う建物の屋根の上に怪鳥が現れるようになりました。怪鳥は「いつまでも、いつまでも」と毎晩鳴いて人々を恐れさせます。
歌川芳員「源頼政鵺退治之図」
公卿たちは、その昔京に現れた怪物鵺(ぬえ)を退治した源頼政(みなもとのよりまさ)にちなんで弓の名手に退治させようと考えました。
依頼を受けた弓の名手、隠岐次郎左衛門広有(おきのじろうざえもんひろあり)は鏑矢(かぶらや)を構えて1発で怪鳥を射止めました。
弓の腕を認められた隠岐次郎左衛門広有は後醍醐天皇から「真弓」姓を賜ったとされ、真弓さんは現在でも関東・関西・九州などに3500人いるそうです。
怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばしに鋸(のこぎり)のような歯が並び、体はヘビのようで、両足の爪は剣のように鋭く、翼長は1丈6尺(約4.8メートル)もあったといいます。
まるで始祖長(アーケオプテリクス)のようですね。
『今昔画図続百鬼』の以津真天(いつまで)
『太平記』において、この鳥に名前はなく「怪鳥」と記述されているのみですが、『今昔画図続百鬼』では「以津真天(いつまで)」と記されています。鳥山石燕が怪鳥の鳴き声をもとに名づけたものと考えられます。
なぜ以津真天(いつまで)をモデルにした?
『ワンピース』五老星のサターン聖の牛鬼(ぎゅうき)に比べてそこまで有名ではない、以津真天(いつまで)をモデルにした理由について考えてみたいと思います。
前回のブログでは五老星を含む天竜人のモデルが「天皇」なのではないかと考察しました。
以津真天(いつまで)が登場する『太平記』は南北朝時代の動乱を描いた作品です。尾田先生は『太平記』に注目し日本の天皇の歴史読者に考えてほしかったのでは?と思うのです。
南北朝時代といえば、北朝と南朝に天皇が2人存在し始めた時代です。その後も数100年あまり、南北朝どちらが正統な天皇なのか決着がつかぬまま時は流れますが、江戸幕府が大政奉還して始まった明治政府は強制的に南朝を正統な天皇と宣言します。
明治政府から始まる天皇の権威を利用した統治は徐々にエスカレートしていき、戦前には天皇を現人神(あらひとがみ)として崇拝し、天皇制に逆らったものは逮捕される法律までありました。
尾田先生はワンピースを通してこのような日本の歴史を学ぶきっかけを与えようとしているのかもしれませんね。
まとめ
・以津真天(いつまで)は『太平記』に登場する。
・以津真天(いつまで)は鎌倉時代が終わり、疫病で世が乱れていた京に現れた怪鳥。
・『太平記』に注目することで天皇の歴史に注目し、天竜人と日本の類似点に気づかせる構造になっている?
「いつまでも、いつまでも」と聞くとスターダストレビューの名曲が思い出されたのでリンクを貼っておきます笑
その他の五老星の能力と日本史の関係
『太平記』を題材にしたジャンプ作品