遥か古代、白鳥を追う者たちがいた!この記事では、「鳥取部」に焦点を当てます。彼らの仕事は単なる鳥捕りだったのか?それとも、日本の文明を築く上で欠かせない製鉄という重要な役割を担っていたのか?その誕生の謎と、製鉄との知られざる関係を深掘りしていきます。
- 古代から神聖視されていた鳥クグイとは?
- 「鉄あるところに白鳥あり」?鳥取部と製鉄を結ぶ点と線
- 神話が語る「天湯河板挙」と製鉄の匂い
- 誉津別命と白鳥、そして鳥取部の誕生
- 『古事記』に見る鳥取部の広がりと製鉄の神々
- まとめ:鳥取部は単なる鳥捕り集団ではなかった?
古代から神聖視されていた鳥クグイとは?
みなさんは「クグイ」という鳥をご存知でしょうか?
漢字では「鵠」現在でいう白鳥のことです。

津堂城山古墳から出土した水鳥形埴輪
この美しい鳥は古代の人々にも大変親しまれ、その存在は「鳥取部(ととりべ)」という、鳥を捕らえることを生業とする専門の職業が生まれるほどでした。
しかし、この鳥取部には、単に鳥を捕らえるだけではない、もう一つの重要な役割があったとする説があります。それが、「製鉄」に関わる仕事です。
「鉄あるところに白鳥あり」?鳥取部と製鉄を結ぶ点と線
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この説を強く主張する宗像教授の言葉に「鉄あるところに白鳥あり」というものがあります。一見すると不思議なこの言葉は、鳥取部と製鉄の密接な関係を暗示しているかのようです。 一体なぜ、鳥取部が製鉄と結びつくのでしょうか?
その謎を解き明かす鍵は、古代の天皇と、ある神話に隠されています。
神話が語る「天湯河板挙」と製鉄の匂い

物語の舞台は、第11代垂仁天皇の時代。ここで活躍するのが「天湯河板挙(あめのゆかわたな)」という人物です。 彼の名前にある「湯河(ゆかわ)」は、まるで溶けた金属が勢いよく流れる様子を思わせます。
このブログでは、谷川健一氏の「『湯』とは溶鉱で溶かした金属のことで、金属の精錬に関連する人物」だとする説を推したいと思います。

『もののけ姫』より 踏みふいご
「板挙(たな)」は横板を意味し、これが製鉄で火に風を送るために用いる「鞴(ふいご)」や、あるいは「種(たね)」、つまり「田根(たね)」を指す可能性も指摘されています。
さらに興味深いのは、彼の家系です。父である天伊佐布魂命(あめのいさふるたまのみこと)は織物で有名な倭文氏(しとりうじ)の祖先。

そして祖父の角凝魂命(つのこりのみこと)は、河内の御野県主(みののあがたぬし)神社に天湯河板挙とともに祀られています。

御野県主神社が鎮座するエリアは古くから天湯河板挙(あめのゆかわたな)の末裔である鳥取氏の支配地域だったと思われ、7Km南側には天湯河板挙(あめのゆかわたな)を祀る式内社、天湯川田神社や鳥坂寺があります。また、このあたりの古墳からは大量の鉄滓が出土しており、鳥取氏と鉄の関係をにおわせています。

なお、御野県主神社がある八尾付近は、大物主神(おおものぬしのかみ)の息子である大田田根子(おおたたねこ)の出身地でもあります。後に製鉄と出雲との関係も考察していきます。
誉津別命と白鳥、そして鳥取部の誕生
『日本書紀』には、鳥取部の誕生に関するエピソードが記されています。

ある時、第11代垂仁天皇の皇子である誉津別命(ほむつわけのみこと)は、30歳になっても言葉を発することができませんでした。しかし、空を飛ぶ一羽のクグイ(白鳥)を見た途端、「あれはなんだ」と初めて言葉を発したのです。 これに大変喜んだ垂仁天皇は、天湯河板挙にクグイを捕らえるよう命じます。

クグイを追いかけた天湯河板挙は、ついに、出雲、但馬でクグイを捕獲することに成功。この功績により、彼は鳥取造(ととりのみやつこ)に任命され、ここに鳥取部、鳥養部、誉津部が定められたと伝えられています。
天湯河板挙が白鳥を捕らえた地である出雲や但馬といえば「たたら製鉄」が盛んな場所であり、この物語は、単に白鳥を捕まえることの困難さを示すだけでなく、製製鉄との関連性を強く示唆しているように思えます。
『古事記』に見る鳥取部の広がりと製鉄の神々
『古事記』では、白鳥を捕らえる役は天湯河板挙ではなく山辺大鶙(やまのべのおおたか)とされています。彼は、畿内から木→播磨→因幡→丹波→但馬→近江→美濃→尾張→信濃を経て、和那美の水門で罠を張って白鳥を捕まえます。
実際に白鳥を捕まえるために日本中を周ったというよりは、全国に広がった鳥取部の子孫たちの居住地を神話を通して示しているのではないでしょうか。
ちなみに『古事記』では山辺大鶙(やまのべのおおたか)の努力もむなしく誉津別命(ほむつわけのみこと)は話すことができず、垂仁天皇が見た大国主神の夢に基づき出雲大社を修理して参拝したところ誉津別命(ほむつわけのみこと)は話すことができるようになったといいます。

言葉を話すことができるようになった誉津別命(ほむつわけのみこと)が出雲で出会った肥長比売(ひながひめ)は、たたら製鉄で有名な斐伊川(ひいかわ)の神格化とも考えられています。
『日本書紀』同様にこれを期に垂仁天皇によって鳥取部、鳥養部、品遅部、大湯部、若湯部を設置されています。大湯部、若湯部は禊や生まれた子に「湯」を浴びせる部署といわれますが、天湯河板挙(あめのゆかわたな)の湯が示すように製鉄関係の部署ではないかと思います。
他にも名前に「湯」がつく神は製鉄と関係が深いです。額田部湯坐連(ぬかたべのゆえのむらじ)の祖先である明立天御影命(あめたつあめのみかげのみこと)は、隻眼の製鉄の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一視されることがあります。
まとめ:鳥取部は単なる鳥捕り集団ではなかった?
これらのことから、鳥取部は単に鳥を捕らえるだけでなく、製鉄という重要な技術に携わっていた可能性がありそうです。
古代の神話や地名、そして出土品は、鳥取部が「製鉄」という日本の基盤ともいえる重要な技術者集団だったことを教えくれました。
この鳥取部と製鉄のつながり、あなたはどう考えますか? ぜひコメントで教えてください!