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大阪旅:鳥取の地名の由来となった天湯川田神社に参拝

この記事は大阪府鳥取氏と関連のある神社を参拝した記録です。

 

天湯川田神社とは

大阪府柏原市高井田に鎮座する天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)は延喜式神名帳河内国大県郡の項に記載のある式内社です。 

 

 祭神 は天湯川桁命 (あめのゆかわたなのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと) 、大日霊命(おおひるめのみこと)です。 

 

 社伝によると、天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)は景行天皇の御代に創建されたとされています。 祭神の天湯川桁命(あめのゆかわたなのみこと)は鳥取県の由来となった鳥取連(ととりのむらじ)の祖神です。  

新撰姓氏録』「右京神別」によると、「鳥取連、角凝魂命三世孫天湯河桁命之後也」とあります。天湯川桁命 (あめのゆかわたなのみこと)が鳥取国造に任命されたきっかけについては記紀に記載があるので詳しく見てみましょう。

 

天湯川桁命(あめのゆかわたなのみこと)の伝説

日本書紀』 には以下の逸話があります。 

第11代垂仁天皇の皇子、誉津別皇子 (ほむつわけのみこ)は三十歳になって鬚が生えても物を言わずに、幼子のように泣いてばかりいました。  

天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)より

しかし、ある時鵠(くぐい)(白鳥のこと)が飛んでゆくのを見て誉津別命(ほむつわけのみこと)が「あれはなんだ」と言葉を発したのです。これを聞いた垂仁天皇は鵠(くぐい)を見て物を言うことができたのだと大変喜んで、天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと)に鵠(くぐい)をとらえるように命を下しました。

 

天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと)は出雲国(或る人が言うには但馬国)まで追いかけて鵠(くぐい)を捕獲しました。  1ヶ月後、天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと)は天皇に鵠(くぐい)を献上すると、誉津別命(ほむつわけのみこと)はその鵠(くぐい)とたわむれているうちに、言葉を話すことができるようになりました。この報賞として、天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと)は姓を与えられ、「鳥取造(ととりのみやつこ)」 」と名乗りました。あわせて、垂仁天皇によって鳥取部・鳥養部・誉津部(ほむつべ)が定められたといいます。『日本書紀』より

 

(この伝説を見て、空を飛ぶ白鳥を捕まえるために遠方まで行って苦労したんだな…という感想と同時に、製鉄が盛んな地方である「出雲」「但馬」で白鳥を捕らえているところが気になるところです)

 

天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)を参拝

JR関西本線高井田駅から自転車をレンタルして10分くらいの位置にありました。南側には大和川が流れています。

小高い山の上に鎮座しており階段を登っていきます。

「物言わぬ皇子」の社伝ありルーツは当社である。とあります。垂仁天皇の宮は奈良県なので、なぜ柏原市(かしわらし)高井田が舞台になっているのかは疑問です。

 

鳥居の前には白鳥の置物がありました。高台になっていますが境内は木に囲まれていて周囲の景色は見えません。

境内には聖武天皇孝謙天皇が巡拝した河内六寺の一つ、鳥坂寺(とさかでら)塔跡が発見されています。このお寺は鳥取氏が氏寺として建立したとも、仏教帰依者が建立したともいわれています。  いずれにせよ、後世になっても「鳥」という地名が残っているという事に面白さを感じますね。  

柏原市立歴史資料館の展示により作成

鳥坂寺には高さ20mの三重塔があったとされています。

 

天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと)の一族が埋葬される古墳

高井田地域には多くの古墳が作られた形跡があります。天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと)は鳥取国造に任命されたので鳥取に埋葬されたかもしれませんが、その一族や先祖はこのあたりに埋葬されているのではないでしょうか。

柏原市史』第二巻に安堂山古墳群として、高井田の鳥坂寺跡周辺には、4〜5基の前期古墳があったと記載されていました。  そのうちのひとつ、鳥坂宮古墳と呼ばれる古墳は天湯川田神社がある場所にあったとされる古墳です。

天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)の境内には4世紀に築造された古墳があったようで、周囲から盾形埴輪、朝顔形埴輪が採集されています。しかし7世紀後半に鳥坂寺を造成する際に破壊されたようです。破壊された石室に使用されていた板石は塔の雨落溝として使われたり、古墳を削り取った土を盛土として利用したようです。

 

鳥取氏の祖先が埋葬されてるのしたら、先祖の墓を壊して寺院作るだろうか?と疑問を持ちます。他の一族の墓があったところに鳥取氏が寺院を作ったのか、あるいは仏教という新たな宗教を取り入れて墓を作り変えたのでしょうか。

 

河内国大県郡には坂郷と鳥取郷があって、この神社の近くには宿奈川田神社 という鳥取連が祖神を祀った式内社がありますので次回紹介します。

 

まとめ

・天湯川田神社は鳥取国造の祖である天湯川桁命 (あめのゆかわたなのみこと)を祀っている

・『日本書紀』によれば垂仁天皇の時代に天湯川桁命 (あめのゆかわたなのみこと)が白鳥を捕らえた功により鳥取国造に任命された

天湯川田神社の境内には4世紀築造の古墳があり、鳥取氏の先祖が埋葬されている可能性がある