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秩父の古代史:知々夫国造はだれ?

氷川神社鷲宮神社をはじめ、埼玉県には出雲系の神を祀る神社が多いことを前回の記事でまとめました。しかし埼玉県北西部の秩父地方には全く異なる神が祀られています。この記事では埼玉県の秩父の古代史についてまとめます。

 

 

知々夫国(ちちぶのくに)とは?

先代旧事本紀』国造本紀によれば、古代の武蔵国は知々夫国・无邪志国・胸刺国の3つに分かれており、それぞれ別の国造が国を治めていたことがわかります。

三国造のうちもっとも早く成立したと伝えるのは知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)で、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子の八意思兼命(やごろもおもいかねのみこと)十世の孫と伝える知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が国造に任命されたとされています。

 

また、 『高橋氏文』によれば、磐鹿六獦命(いわかむつかりのみこと)に従って景行天皇(第12代天皇)に料理を献上した天上腹(あめのうわはら)と天下腹(あめのしたはら)は知々夫国造の上祖であると記されています。

 

知々夫国造を祀る神社

先代旧事本紀』に一致するように秩父地方にある神社では思兼命(おもいかねのみこと)の末裔が祀られています。

武蔵国四宮である秩父神社の祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)や知知夫彦命が祀られています。

 

興味深いことに秩父地方のお隣の長野県でも思兼命(おもいかねのみこと)の子孫が祀られています。

阿智神社は長野県下伊那郡阿智村にある式内社で、『先代旧事本紀』に天八意思兼命が天降り、信乃阿智祝部の祖となったとあります。祭神は天八意思兼命とその子、天表春命(あめのうわはるのみこと)です。

長野県長野市戸隠神社(とがくしじんじゃ)宝光社には天表春命が祀られている他、戸隠山はは天照大神が籠っていた天の岩戸を天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が力まかせに投げ飛ばしたとき、その一部が飛んできて山になったという伝説から生じています。

     天岩戸神社天手力雄命の像

天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)も八意思兼命の子であり同族であることから、八意思兼命の末裔を称する一族は長野〜秩父にかけて拡大していたように思えます。

秩父国造を設置したのは上毛野国統治のため?

先代旧事本紀』によれば古代の国造のうち早い段階で知々夫国造が任命されており、これは東国の大豪族である「毛野国(けのくに)」を意識しての決定だったのではないでしょうか。

先代旧事本紀』の国造本紀にある国造を設置した時期に注目してみると、崇神天皇(第十代)の時には科野(信濃)・上毛野(上野)・知々夫の三国造のみが置かれていて、信濃→上野→武蔵という東山道の経路にそって置かれたことを示しています。

 

これに対し東海道の経路に従って設置されたのは成務朝(第十三代)以後で、地理的に遠い下総の印波・下海上(しもつうなかみ)の国造は応神朝(第十五代)です。つまり、知々夫国造武蔵国でもっとも早く朝廷に服属し、その統治領域は古墳分布から考えて荒川に沿った秩父郡と北武蔵一帯の地域であったと考えられます。

 

日本書紀』によれば崇神天皇の時に皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が派遣され、これが後に上毛野君・下毛野君の遠祖となったとしており、皇室との一体関係が主張されているので、朝廷が毛野国をカギとして東国経略を進めたことを示しています。