埼玉と出雲の関係を調べる中で氷川神社の創建のきっかけとなった出雲族である兄多毛比命(えたもひのみこと)について調べてみました。
- 氷川神社の創建に関わる兄多毛比命(えたもひのみこと)
- 兄多毛比命(えたもひのみこと)とは
- 兄多毛比命(えたもひのみこと)の子
- 兄多毛比命(えたもひのみこと)の先祖は?
- 先代旧事本紀が物語る出雲族の拡大
氷川神社の創建に関わる兄多毛比命(えたもひのみこと)

氷川神社HPより
氷川神社の社伝によれば、第13代成務天皇の時代に出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造に任命され、氷川神社を崇敬したとあります。
兄多毛比命(えたもひのみこと)は『古事記』や『日本書紀』には登場しませんが、『先代旧事本紀』の国造本紀に登場します。
兄多毛比命(えたもひのみこと)とは

『先代旧事本紀』の国造本紀によれば、兄多毛比命(えたもひのみこと)は第13代成務天皇の時代に无邪志(むざし)国造に任命されたとあります。

兄多毛比命(えたもひのみこと)の出自は、天穂日命(あめのほひのみこと)の14世孫で、出雲臣祖・二井之宇迦諸忍之神狭命(ふたいのうかもろおしのかんさのみこと)の10世孫とあります。天穂日命は初代出雲国造であり、子孫が現在に至るまで出雲大社の宮司を勤めている、いわゆる出雲族です。

『出雲国造千家系図』や『新撰姓氏録』によれば天穂日命14世孫には野見宿禰(のみのすくね)がおり、同世代と考えられます。

それならば、兄多毛比命(えたもひのみこと)は垂仁天皇の時代の人物ではないかとも思えます。

垂仁天皇の時代であれば3世紀前半から4世紀前半
成務天皇の時代であれば3世紀後半から4世紀中旬
と予測します。

中国でいう三国志、西晋、五胡十六国あたりのどこかだと思われます。
1世代を25-30年として系図をさかのぼった↓
兄多毛比命(えたもひのみこと)の子
兄多毛比命(えたもひのみこと)の子らも重要な役職に任命されています。

兄多毛比命(えたもひのみこと)の子は多くが各地の国造になっており、関東の国造となるのは大鹿国直(おおかくにのあたい)と伊狭知直(いさちのあたい)の2人です。(他は山口、鳥取、福岡など西日本)

兄多毛比命(えたもひのみこと)の子・大鹿国直(おおかくにのあたい)上海上国(かみつうなかみのくに)を分割し、菊麻(きくまの)国を新設しています。

兄多毛比命(えたもひのみこと)の子・伊狭知直(いさちのあたい)は胸刺(むさし?)国造となりますが、兄多毛比命(えたもひのみこと)が国造を務めた天邪志(むさし)国とは漢字が異なるため同じ国なのかは議論があります。
兄多毛比命(えたもひのみこと)だけでなく、その子らも各地の国造になるとはいったい何者なのかと思うわけですが、その先祖についても見てみましょう。
兄多毛比命(えたもひのみこと)の先祖は?
『先代旧事本紀』の国造本紀には兄多毛比命(えたもひのみこと)よりも先代の出雲族が関東の国造になったと記されています。
その勢力は千葉県西部から茨城県北部、千葉県北部へと拡大してくようにみえます。

成務天皇の時代に上海上(かみつうなかみの)国造に天穗日命の八世孫 の忍立化多比命(おしたちけたひのみこと)が任命された。

成務天皇の時代に新治(にいはりの)国造に天穂日命の八世孫の弥都侶伎命(みつろきのみこと)の子の天穂日命九世孫の比奈羅布命(ひならすのみこと)を任命した。

成務天皇の時代に 高(多珂)国造に天穂日命の八世孫の弥都侶岐命(みつろぎのみこと)の孫で天穂日命の十世孫の弥佐比命 (みさひのみこと)を任命した。

応神天皇の時代に下海上(しもつうなかみの)国造に上海上国造祖の孫で天穂日命十世孫の久都伎直(くつきのあたい)を任命した。

成務天皇の時代に阿波(あわ)国造に天穂日命の八世孫の弥都宿岐命(みつろぎのみこと)の孫で天穂日命の十世孫の大伴直大瀧(おおとものあたいおおたき)が任命された。

成務天皇の時代に伊甚(いじみの)国造に安房国造祖の伊許保止命(いこほとのみこと)の孫の伊己侶止直(いころとのあたい)を任命した。

上記の国造本紀の記載を系図にしたものがこちらです。伊甚(いじみの)国造に任じられた伊己侶止直(いころとのあたい)は出雲族なのかどうかはよくわかりませんでした。
先代旧事本紀が物語る出雲族の拡大

『先代旧事本紀』国造本紀から大平洋側に面した千葉県、茨城県に勢力を広げてきた出雲族が、兄多毛比命の代になって内陸である「无邪志国造」にまで拡大したことがわかります。
出雲族が世襲するかのように次々と新たな土地の国造に任命されていく様子はまるで出雲族を中心とする国が関東平野にあったかのようにも思えてなりません。今後は考古学的な視点からもみていきたいと思います。
まとめ
・大宮の氷川神社の創建に関わる兄多毛比命は出雲族が千葉県、茨城県から埼玉県に拡大する際の重要人物だった
・関東の国造には天穂日命の末裔である出雲族が代々任命されている。