埼玉県の神社(特に式内社)巡りをしていると埼玉県には出雲の神様を祀る神社が多い事に気が付きます。埼玉県と出雲の関係について考えてみました。
※式内社:平安時代の法律などをまとめた「延喜式(えんぎしき)」の中の神名帳(じんみょうちょう)にのっている神社。少なくとも延長5年(927年)に存在していたことがわかる。
目次
出雲とは?

現在の島根県の旧国名で、八岐大蛇(やまたのおろち)と素戔嗚(すさのお)の戦いや大国主(おおくにぬし)が因幡の白兎を助ける説話など出雲神話 の舞台となった地です。

出雲大社に祀られる大国主からみて素戔嗚は義理の父にあたります。素戔嗚から始まるファミリーを「出雲族」と呼ぶことにします。
鷲宮神社の社伝

『らきすた⭐︎』の聖地として有名な鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)には出雲族に関する社伝があります。
神代の昔に、天穂日宮(あめのほひのみや)とその御子武夷鳥宮(たけひらとりのみや)とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
鷲宮神社社伝より

天穂日宮(あめのほひのみや)は天照大神(あまてらすおおみかみ)の子で出雲に派遣され、孫の武夷鳥宮(たけひらとりのみや)は初代出雲国造(いずものくにのみやつこ)となる人物です。
つまり、出雲の国造が27人の出雲族を連れてこの地にやってきて出雲大社の神である大己貴命(大国主)を祀ったのが鷲宮神社の始まりだというのです。
有名人のオンパレードでテンション上がりますが、出雲国造に任命された武夷鳥宮(たけひらとりのみや)がここまでくる理由もわからないですし、なにより鷲宮神社は『延喜式神名帳』に載っていないので後から創作された感が否めません。
鷲宮神社が初めて歴史資料に現れるのは『吾妻鏡』の建長3年(1251年)の記載が最初であり少なくとも鎌倉時代から続く古社である事は確かなのですが。
そこで、埼玉で最も格式の高い神社をみてみましょう。
武蔵国一宮氷川神社と出雲

武蔵一宮氷川神社(むさしのくにいちのみやひかわじんじゃ)は埼玉県さいたま市大宮区高鼻町に鎮座しています。

祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、大己貴命(おおくにぬしのみこと)であり出雲族です。
『国造本紀』によると、初代无邪志(むさし)国造の兄多毛比命は成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲族をひきつれてこの地に移住し、祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)に由来するという説がある。 Wikipediaより
つまり、武蔵国一宮の氷川神社が祀る神は出雲族であり、この地を開拓した出雲族が祖先を祀るために作ったのが氷川神社であるというのです。鷲宮神社の社伝にも似ていますね。
武蔵国は出雲族の国だったのか?
日本は祖先信仰です。古代ではしはしば、一族の祖先を氏神や地域の守護神として祀ることが多いです。それをヒントに武蔵国の式内社の祭神を確かめてみましょう。

結果、武蔵国の21郡のうち出雲族を祀る式内社は●郡あることが判明しました。

利根川河川下流事務所より一部改変
『国造本紀』を信じるなら13代政務天皇の時代(推定3世紀中旬または4世紀中旬)に氷川神社(足立郡)を開拓した出雲族は旧利根川、元荒川を遡って埼玉郡、大里郡、横見郡、男衾郡、比企郡へ広がっていったのでしょうか。
銅剣358本が出土した荒神谷遺跡は250年±80年。出雲国滅亡(大和への吸収?)とともに難民が武蔵国にやってきたと考えることもできるのでしょうか。
今後は考古学的な側面から出雲族の広がりを見ていきたいと思います。