この記事は鷲宮神社を参拝した記録です。
鷲宮神社とは

鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)は、埼玉県久喜市鷲宮一丁目にある神社です。「関東最古の大社」、「お酉様の本社」と称しています。

祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)とその子の武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おおあなむちのみこと)です。

久喜市郷土資料館にて撮影
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に度々登場しており、関東の武士に崇敬されてきた神社です。神社に伝わる「鷲宮催馬楽神楽」は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、関東神楽の源流と言われ江戸の里神楽の基礎を形成したと云われています。

『らき⭐︎すた』第一話より
近年は、アニメの聖地として日本全国から多くのファンが参拝に訪れています。
鷲宮神社を参拝

鷲宮神社が鎮座するのは埼玉県の北東部の久喜市です。周辺にはJR宇都宮線の東鷲宮駅、東武伊勢崎線の鷲宮駅があります。

北側を流れる利根川を北にわたると栃木県の古河市に面しています。

鎌倉時代には源や北条、室町時代には古河公方、江戸時代には徳川から保護を受け、時の権力者によって大切に守られて来た神社です。

鷲宮神社の境内からは縄文時代、古墳時代の住居の跡が見つかっています。古代において鷲宮神社が鎮座するこの地は台地であったことがわかっており、古来から人が住んでいたのでしょう。

鷲宮神社HPより
天穂日とその子武夷鳥宮が、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのが始まりとあり、崇神天皇時代には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。 景行天皇時代には、日本武尊が武夷鳥宮を奉祀したとあります。
社伝には古代史におけるオールスターが登場してますが、本当に彼等が鷲宮神社にやって来たのかを含めて詳しい解説は下記のブログで。
鷲宮神社に伝わる神楽

鷲宮神社には「土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)」が伝わっています。

彩の国21世紀郷土カルタより
催馬楽とは、平安時代に流行した歌謡で、地方から都に税を運ぶ馬子が歌ったことから催馬楽と呼ばれたとする説があります。

鷲宮神社の神楽は少なくとも、鎌倉時代の建長3年(1251)には行われていたことが、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』の記事から確認できます。

鷲宮神社の拝殿の目の前には神楽を舞うための神楽殿がありました。

神楽殿の前に拝殿があります。利根川がある北に向かって拝むようになっています。

本殿

本殿

みひかりの池

鹿島神社。埼玉県でありながら東部に位置するので茨城県沿岸部の鹿島信仰もここまできてますね。

栗島神社

諏訪神社。境内に縄文時代の住居跡があり、縄文の神を祀っているのでしょうか。
鷲宮神社が式内社でない理由
出雲族の伝承を持ち、少なくとも鎌倉時代には時の権力の崇敬を受けていた古社であるにも関わらず、平安時代編纂の『延喜式』に掲載されていないのはなぜでしょうか。地形的な理由から考えてみたいと思います。

古代における武蔵国の地形は、西部に山(秩父、比企、入間等の山岳地帯)、東部に傾斜して平地(児玉、大里、北埼玉、北足立、北葛飾、南埼玉)があり、ここに利根川、荒川、入間川、多摩川等が流れていました。

久喜市郷土資料館より
縄文時代(約6000年前)の中でも温暖な時期の東京湾は現在よりも北方へ流れ込み、栗橋付近から埼玉郡の一部は「埼玉の入り江」が形成され、大宮より川越付近まで海水に浸され、豊島足立にも入り江があったとされています。その後寒冷化に伴い東京湾は退化し、現在の姿になっていったと考えられています。

久喜市郷土資料館より
トラックや鉄道がない古代においては河川による交通は重要で物資の流通の手段であり、利根川、荒川等は河川交通として利用されてきたでしょう。
鷲宮神社はかつて「浮島大明神」と呼ばれていたように、古代において鷲宮神社の周辺が海湾であった名残から、河川や沼が残り、台地の上に鎮座した鷲宮神社はまるで島の上に浮かんでいるように見えたであろうことを物語っています。
鷲宮神社は出雲族にかかわる歴史ある神社であるにもかかわらず、式内社から漏れたのは、おそらく当地一帯が河川乱流区域で、『延喜式』編纂当時は開発が進んでおらず、この地を支配する氏族の力が弱かったためではないでしょうか。