古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

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【埼玉と出雲】羽生の由来は埴輪?

埼玉古墳群がある埼玉県行田市の隣の羽生市と出雲の関連を考えていきます。

 

羽生市とは?

埼玉県の北東部に位置する羽生市(はにゅうし)は人口5万人が暮らしています。

Wikipediaより

律令制の時代には埼玉(さきたま)郡に位置していた地域です。

 

羽生の地名の由来

埼玉県立さきたま史跡の博物館 撮影

羽生(はにゅう)という地名の由来は埴輪(はにわ)であるとする説があります。

 

古代、陶器の材料となる粘り気のある粘土質の赤土のことを「はに」といった。この「はに」で作ったのが古墳の副葬品である埴輪(はにわ)である。そして、「はに」には「埴」という漢字をあて、「はに」のとれる場所を「はにふ(埴生)」と呼んだ。

 

羽生市内の神社にある懸仏(かけぼとけ)には、天正18年(1590年)太田埴生庄と残されていたとWikipediaにありますが、どの神社なのか調べても出てこず不明です。

江戸時代までは「埴生」という漢字が当てられていたとして、羽生の歴史が埴輪が作られていた古墳時代に遡ることができるなら出雲族と関係があるかもしれません。

 

埴輪を考案した技術者集団

日本書紀』によると天穂日命(あめのほひ)の末裔の野見宿禰(のみのすくね)という人物が殉死者の代用品として埴輪(はにわ)を発明し、第11代垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」と土師臣姓を賜ったとあります。

野見宿禰の末裔は土師氏(はじうじ)と名乗り、土木系の技術を氏業とし、出雲、吉備、河内、大和古墳時代(4世紀〜6世紀)に、古墳造営や葬送儀礼で活躍したと言われています。菅原道真(すがわらのみちざね)も土師氏の末裔です。

埼玉県行田市にある埼玉(さきたま)古墳郡は5世紀後半に突然大規模な古墳が作られたはじめます。埼玉古墳群を築造するために西日本からやって来た人々が住んだ土地が羽生(埴生)だったのでしょうか。