古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

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埼玉旅②:前玉神社の歴史

初詣に前玉神社に行ってきました。

前玉神社(さきたまじんじゃ)は、埼玉県行田市埼玉(さきたま)にある神社で延喜5年(905)に作成された『延喜式神名帳』に前玉神社名が記載されている古社です。

 

境内には2つの宮があり、本殿は浅間塚古墳の上にあるため、長い階段を上った先に鎮座していました。本殿では前玉彦命(さきたまひこのみこと)、前玉比売命(さきたまひめのみこと)を祀っています。

上は『古事記』を元に作成しました。前玉比売は天之甕主神(あめのみなかぬし)の娘とあります。

 

前玉彦の名前はありませんが、代わりに速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやじぬみ)となっています。

速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやじぬみ)の祖先は因幡の白兎で有名な出雲大社大国主です。

本殿で参拝しました。神紋は左三つ巴(みつどもえ)でした。水軍で有名な戦国大名毛利元就の3男小早川隆景の家紋と同じですね。

 

前玉神社の創建は不詳ですが、本殿が浅間塚古墳の上にあることから7世紀以降に作られたと考えられます。

神亀3年(726年)の戸籍帳である「山背国愛宕郡雲下里計帳」(『正倉院文書』)にも「武蔵国前玉郡」の表記が見えることから、この「前玉」がのちに「埼玉(さきたま/さいたま)」へと変化したと考えられています。

 

境内にはもう一つ宮があります。浅間神社です。社伝によると忍城中にあった浅間社を勧請してからは「浅間社」と号し、鎮座する古墳は富士山に見立てられていたそうです。初め古墳上の神社は「上ノ宮」、中腹にある神社は「下ノ宮」とされていたが、明治に入り上ノ宮は「前玉神社」、下ノ宮は「浅間神社」と定められたとも伝えられています。

 

林羅山が元和2年(1616年)の『丙辰紀行』で三島神社の祭神が、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父親が大山祇神(おおやまつみがみ)であることから「富士の大神をば木花咲耶姫」とした事が始まりのようです。

さきたま古墳では毎年さきたま火祭りが行われます。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が産屋に火を放つ神話に基づいた祭りはここからきているのですね。

 

 

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さきたま古墳に関する記事はこちら↓

rekitabi.hatenablog.com

 

さきたま火祭りに関する記事は↓

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