地元埼玉県に興味深い神社があると聞いて行ってきました。古代中国後漢の時代に高句麗によって滅ぼされた楽浪郡からの渡来人が移り住んだようなのです。
それが常世岐姫神社(とこよきひめじんじゃ)です。常世岐姫神社は日本に4社しかなく、その本宮とされているのは大阪の八王子神社。他の3社は埼玉県内の北部(深谷市1社、行田市2社)に集中しているという不思議な神社です。
そのうちの一つが埼玉県行田市渡柳に鎮座しており、近くにはさきたま古墳があります。埼玉県神社庁「埼玉の神社」によると当社も古墳上に建立され、幾つかの出土品を所蔵していたそうです。
常世岐姫神社の上の二文字は消されていました。行田市荒木に所在する神社は「荒木」を冠して「荒木常世岐姫神社」と称しており、渡柳にあるこの神社は昔は渡柳常世岐姫神社だったのでしょうか。
創建は不明ですが埼玉県神社庁「埼玉の神社」によると荒木常世岐姫神社(行田市荒木)から分霊したものと伝えているそうです。 江戸時代には渡柳村の鎮守となっていました。
祭神は常世岐姫(とこよきひめ)で常世氏がその祖神を祀ったものと考えられています。
明治42年に、渡柳村内にあった諏訪神社・天神社・伊奈利神社・洗磯前神社・八幡神社・神明社・塞神社を合祀したため、建御名方神、菅原道真、宇迦之御魂、少彦名、誉田別命などが祀られています。
常世岐姫(とこよきひめ)を祀った常世氏とは何者なのでしょうか。
『日本書紀』によれば河内大県群に勢力を持っていた伴造の赤染氏の一族の中に壬申の乱(672年)で活躍した者がおり、『続日本後紀』宝亀8年(777年)の夏に正六位上の赤染人足ら13人が常世連(とこよのむらじ)を賜姓されたという記録があります。
『続日本紀』の天平19年(747年)8月23日条にも「正六位上赤染造広足・赤染高麻呂ら9人に常世連の氏姓を賜る」とあります。
『地図でスッと頭に入る三国志』より
『新撰姓氏録』には「常世連。燕の国王、公孫淵の後なり」と記されています。公孫淵といえば、後漢の後「魏」「呉」「蜀」の三国時代に「燕」を建国した人物です。常世連が燕の公孫氏の流れを汲むと称していたことがわかります。
公孫淵は魏との戦いで敗れて一族は皆殺しにされたはずですが、末裔が日本に渡って来ることはあるのでしょうか?
つづく
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