『延喜式』神名帳では、大社3座3社(いずれも名神大社)・小社9座9社の計12座12社が記載されています。
群馬の式内社の主祭神を見ると大国主系多い事がわかります。(12社中6社は大国主系、2社は少名彦)
理由としては以下が考えられます。
・延喜式が作られた10世紀当時は出雲系の神社の力が強かった。
前橋、伊勢崎には豊城入彦が祀られる赤城神社が多く存在しています。特に前橋市三夜沢町の赤城神社の由緒によれば、豊城入彦命が上毛野国を支配することになった際、大己貴命を奉じたのに始まるとされる創建が伝わっています。
豊城入彦の父にあたる10代崇神天皇は奈良の三輪山に大国主を祀った事が『記紀』に残されており、息子である豊城入彦との関係性も気になるところです。
お隣の埼玉県も大国主系が多いです。古墳と絡めて見てみたいですね。
上は歴史ブログをかかれている方が作成した豊城入彦を祀る神社の分布です。神社の位置から執筆者の長井さんは豊城入彦のルートは中山道ではなく、北陸を経由して群馬にやってきたのではないかと予測しています。
富岡市一宮にある一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)には経津主神(フツヌシノカミ)が祀られています。
江戸時代の浮世絵に描かれた経津主神(岳亭春信『葛飾廿四将』)
経津主神は武甕槌(タケミカヅチ)と共に出雲の国譲りを迫った神で、茨城県の香取神宮で祀られています。一宮貫前神社を建てた人々は利根川流域にある香取神宮から富岡市までやってきたという事でしょうか。