古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史、神話、医療に興味があるサラリーマンが全国を旅した発見を書き連ねます。

上総国一之宮 玉前神社 を神話と古墳から考察してみた。

過去のブログでは埼玉県行田市のさきたま古墳群の中の一つ浅間塚古墳の頂上に鎮座する式内社「前玉神社(さきたまじんじゃ)」の名前の由来について推測しました。

 

出張で東京駅の構内を歩いていると、「上総国一之宮 玉前神社」の看板が目に入りました。

 

名前が似てる神社はたくさんあるので、普段なら流してしまいそうなのですが、「上総国一之宮」とあったので興味を持ってしまったのです。

 

目次

 

上総国(かずさのくに)とは

更級日記 平安時代と上総国より

平安時代にの千葉県は3つの国に分かれていました。下総(しもうさ)、上総(かずさ)、安房(あわ)です。上総国はその中央部に位置します。

玉前神社上総国東部の太平洋側にあります。

 

玉前神社とは?

玉前神社(たまさきじんじゃ)

場所:千葉県長生郡一宮町一宮3048

 

永禄5年(1562年)の兵火のために古文書類が焼失したため、創建時期等は不明です。口伝で以下のような説があるようです。

 

景行天皇創建説

境内にある御神水は「白鳥の井戸」と呼ばれるが、これは日本武尊(やまとたけるのみこと)が一羽の白鳥となって上空に現れ、白く美しい羽がこの井戸に舞い落ちたという。こうした所縁を知った第12代景行天皇(日本武尊の父)が当神社を創建した。

ヤマトタケル神話において弟橘媛が犠牲になる話は房総半島が舞台ですので、ヤマトタケルと千葉県は縁があるのですが、実際にここまでヤマトタケルが来たのかは不明です。

②海の民による創建説

玉前神社の東の九十九里浜は、昔「玉の浦」と呼ばれていた。玉前神社は玉の浦の南端に位置していたため、「玉前」(玉崎)という名がついた。祭神は玉前神=玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)とされている。

玉依姫命は鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の妃で初代神武天皇の母です。玉依姫は綿津見(わだつみ)の娘で、出産の際には海神に姿を変える神話があり、海の民が祀る神とも考えられています。

 

玉前神社で1200年以上続くとされる神幸祭(十二社祭)では大宮・若宮という2基の神輿が出御しますが、1つは玉依姫命、もう1つは鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)(もしくは、神武天皇)という説があるそうです。

勝浦海岸の西側には鵜原海岸(うはらかいがん)があります。「うはら」といえば、福岡県刈田町にある宇原神社を思い出します。

苅田町には3世紀中〜4世紀前半に作られた前方後円墳(石塚山古墳)があり、出土した三角縁神獣鏡は宇原神社に納められています。宇原神社の祭神は鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)です。

 

地名は似ているものの、鵜原海岸周辺には鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を祀る神社は見つかりませんでした。偶然の一致なのか、日向をルーツに持つ海の民がやって来た名残なのでしょうか。

 

玉前神社にやって来たのは出雲族

先代旧事本紀 国造本紀』によれば、第13代成務天皇の時代に阿波国造の祖・伊許保止命(イコホト)の孫である伊己侶止命(イコロト)が伊甚(いじむ、いじみ)国造に任じられたとあります。

Wikipediaより

伊甚国造は夷隅川および一宮川流域を支配していたとみられ、その本拠地が当地・上総国埴生郡(現・長生郡、茂原市の一部)であったとされています。

古事記』では、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)の子建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を伊自牟国造の祖としています。

建比良鳥命出雲国造の祖先であり、出雲国出雲郡にも式内社として伊甚神社があることから出雲と関連が深い人物が赴任して来たと思われます。

 

建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を祀る埼玉県鷲宮神社に関する記事は↓

 

では、出雲族伊自牟国造がやってきた時代はいつ頃なのでしょうか?

玉前神社周辺の古墳

長南町域には能満寺古墳や油殿一号墳といった4世紀代の大型前方後円墳があり、古墳時代前期における首長勢力の存在をうかがわせる。しかし5世紀以降は大型前方後円墳の築造は認められない。(Wikipediaより)

 

実在した天皇から系図を遡っていくと、伊自牟国造を派遣した第13代政務天皇は3世紀後半〜4世紀中旬の人物だと推測しています。

 

能満寺古墳や油殿古墳の4世紀後半とは50〜100年ほど離れているので、これらの古墳は伊自牟国造の子孫か、あるいは国造として派遣された別の勢力の者が作ったのではないでしょうか。

千葉県で3世紀代の古墳といえば、今富塚山古墳周辺に多く集中しています。市原市には日本最古の前方後円墳かもしれない神門古墳群もあります。

 

玉前神社との関係が気になるところです。

 

まとめ

・時代不明。鸕鶿草葺不合尊を祀る海の民が西日本からやってきて玉前神社を創建した?

・第12代景行天皇の時代(3世紀中旬〜4世前半)ヤマトタケルの活躍を偲んで玉前神社を創建した?

・第13代政務天皇の時代(3世紀後半〜4世紀中旬)に出雲族伊自牟国造が派遣された?

 

古代の玉前神社周辺は血筋の異なる複数の一族が入れ替わるように入植していった地域だった可能性がある。

 

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