古代史考察
日本の歴史上の人物である聖徳太子。彼の肖像画は、かつて日本のお札にも描かれ、日本人にとって馴染み深いものでした。しかし、現在「聖徳太子」の名は教科書から姿を消し、「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」として記述されることが増えています。一体なぜ…
日本の歴史で有名な聖徳太子。17条の憲法や冠位十二階など聖徳太子の功績は小学校の社会の教科書で学んだ記憶があります。しかしその実像には多くの謎が残されており、最近では聖徳太子はいなかったとする説が話題になっています。今回記事では、法隆寺金堂…
日本の歴史では、大和を中心とした近畿天皇家が古来から日本を支配してきた一元的な歴史として語られることが多いですが、実は600年にもわたり北九州を拠点とした「九州王朝」が存在したという説があります 。 他国の歴史書からみる九州王朝の存在 白村江の…
この記事では日本の古代史における謎である「九州年号」と『日本書紀』によって語られる九州の豪族「磐井」の叛乱についてまとめました。 磐井の乱とは 磐井が豪族(国造)ではなく君である謎 九州年号を制定したのは筑紫の君か? 磐井の乱と『百済本記』の…
遥か古代、白鳥を追う者たちがいた!この記事では、「鳥取部」に焦点を当てます。彼らの仕事は単なる鳥捕りだったのか?それとも、日本の文明を築く上で欠かせない製鉄という重要な役割を担っていたのか?その誕生の謎と、製鉄との知られざる関係を深掘りし…
この記事ではかつて息長氏の本拠地は大阪(平野区喜連)だったという仮説を基に、息長氏が近江に本拠地を移した理由は「隼別皇子(はやぶさわけのみこ)の乱」にあるとする説をまとめていきます。 隼別皇子(はやぶさわけのみこ)とは 隼別皇子(はやぶさわけのみこ…
この記事では日本神話(古代史)に登場する長髄彦(ナガスネヒコ)と東北地方の蝦夷が『もののけ姫』のアシタカのモデルになっているという仮説について考えます。 石切劔箭神社の祭神は長髄彦? イシキリはアイヌ語で長髄彦? 安倍晋三の祖先は長髄彦? アシタ…
前回は賀茂氏のルーツを伝える角宮(すみのみや)神社についてまとめました。今回は角宮神社と並んで乙訓坐火雷神社の論社である向日(むこう)神社へ行った記録をまとめます。 向日神社を参拝 向日神社の向日神は渡来系か? 神武天皇と加茂氏との関係 乙訓の地…
この記事は賀茂氏のルーツを調べるために京都にある「角宮(すみのや)神社」を参拝した記録です。 角宮神社を参拝 角宮神社とは? 賀茂氏と縄文人の関係 賀茂氏の祖先神は平安京の守護神へ 角宮神社を参拝 角宮神社(すみのやじんじゃ)京都府長岡京市井ノ内南…
この記事では前漢の置いた漢四郡が廃止された紀元前1世紀の朝鮮半島についてまとめています。 漢四郡の廃止 濊の南下 玄菟郡の移転 漢四郡の廃止 紀元前108年に設置された漢四郡のうち2郡は26年後に廃止されることとなります。 紀元前82年前漢の第八代皇帝の…
キングダムで最大の強敵となる楚(そ)の滅亡と移民が日本列島にやって来ていた可能性について考えてみました。日本神話に登場する素戔嗚との意外な繋がりもまとめています。 楚の滅亡 楚の移民が朝鮮半島へわたった? 楚の移民は日本列島にやってきた? 楚の…
祖先を呉王の夫差とする『松野連系図』には倭奴国王が登場します。後漢光武帝から金印を授かった人物のことなのか考えてみました。 呉王夫差の末裔と免田式土器 松野連系図からみる倭奴国王 卑弥呼と壱与も倭奴国王の末裔か? 呉王夫差の末裔と免田式土器 呉…
この記事では今回は日本史にも登場する「奴国」と中国の皇帝から与えられた金印について考えていきます。 金印とは 倭奴国王か?倭の奴の国王か? 倭奴国王の読み方はイトコクオウか なぜ光武帝は倭奴国王に任命したのか 金印とは 漢委奴国王印(以下、金印)…
この記事では天皇の系譜をさかのぼり、春秋時代の呉、太伯、姫姓との関係を考察していきます。 倭の統治者は太伯の末裔と名乗った? 太伯とは? 呉王の末裔が日本列島に来た? 松野連は呉王夫差の末裔? 天皇は姫姓なのか? 倭の統治者は太伯の末裔と名乗っ…
出雲の国譲り神話か史実を元にしているとするならば、いつの時代の出来事だったのか?妄想してみました! 式内楯原神社に伝わる武甕槌の子孫の社伝 出雲の国譲りの時代はいつ? 出雲の国譲りと荒神谷遺跡 結論から申しますと、出雲の国譲りは3世紀中旬頃の出…
316年の大国晋の匈奴降伏は東アジアを震撼させました。 現在でいうとアメリカが降伏した並の衝撃だったのではないでしょうか。 日本はそれまで続けていた中国の皇帝に朝貢を中止したので、中国の歴史書に日本が登場しない「空白の150年」と呼ばれています。 …
前回は朝鮮半島の広開土王碑を参照する事で空白の4世紀の日本の歴史を考えてみましたが、まだまだ空白は多いです。 そこで、この空白を埋めるために『日本書紀』の力を借りて空白の4世紀当時の日本を考えてみることにします。
前回の記事では355年第16代仁徳天皇の頃、百済人から鷹狩りが伝えられたと書きました。 4世紀当時の東アジア事情から百済人が日本に来た理由を考察してみます。
中臣氏といえば藤原氏の源流であり、日本史史上最も栄華に満ちた一族です。今回は藤原氏の源流である中臣氏についてまとめていきます。
2023年も残すところ3日となりました。来年の干支は辰(たつ)みたいですね。 日本には年賀状や初詣の文化があり、何気なく干支を使いこなしていますが、世界的にはこのような風習はありません。 今回は干支(えと)の起源や意味について調べてみました!
初代天皇と言われる神武天皇は九州から大和へ東征を行い大和を都と定めて大和政権を立ち上げた人物と言われています。 『古事記』『日本書紀』によると神武天皇は紀元前600年代の人物と言われていますが、実在が確認されている天皇の系図から遡っていくと、1…
手塚治虫『火の鳥 太陽編』 前回の記事では物部氏の祖先である饒速日(ニギハヤヒ)についてまとめてきました。物部氏は大和政権を支える有力な豪族として活躍していましたが、587年に起きた丁未の乱(ていびのらん)をきっかけに歴史の表舞台から姿を消してしま…
今でこそ日本は一つの国家である事が常識になっていますが、いつから日本はワンチームとして意識されるようになったのでしょうか。 そのきっかけは飛鳥時代に大和政権が海外勢力と衝突した事を機に、海外の大きな力に対抗するために一致団結しなければならな…
日本史を勉強する中で江戸幕府が滅びた背景として、国内における尊王攘夷運動の広がりが、倒幕派を生んだと習いましたが、そもそもなぜそのような運動が流行したのかは考えたこともありませんでした。 鹿島神宮へ訪れる中でそのヒントを見つける事ができたの…
宇佐八幡宮信託事件をご存知でしょうか? 奈良時代に宇佐八幡宮の神託によって仏教僧、道教が天皇に即位しようとした事件です。 高校時代日本史で突然出現する「宇佐八幡宮」に困惑した記憶があります。 今よりも神の声や宗教的な儀礼を大切にする文化があっ…