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新潟旅⑥:北陸から会津にたどり着いた大彦命

四道将軍大彦命とは?

大彦命(おおひこのみこと/おおびこのみこと)は、記紀に伝わる古代日本の皇族です。

大彦命は第8代孝元天皇の第1皇子で、第11垂仁天皇の外祖父とされています。

阿倍比羅夫那須与一奥州藤原氏など、後の日本史に登場する人物の中には大彦命の子孫と名乗る人も少なくありません。

日本書紀崇神天皇10年9月9日条では大彦命北陸に派遣するとあり、同書では東海に派遣される武渟川別、西道に派遣される吉備津彦命丹波に派遣される丹波道主命とともに「四道将軍」と総称されている。

 

古事記』では、四道将軍としての4人の派遣ではないが、崇神天皇の時に大毘古命(大彦命)は高志道に、建沼河別命は東方十二道に派遣されたとする。そして大毘古命と建沼河別命が出会った地が「相津」(現・福島県会津)と名付けられた、と地名起源説話を伝える。

四道Wikipediaより

このように第10代崇神天皇の時代に北陸に派遣された大彦命と東海に派遣された武渟川別が出会った場所が会津と言われてはいますが、古代に北陸から会津まで移動できないでしょ、、今まではそんな風に考えていました。

 

古津八幡山遺跡から見つかった東北の痕跡

新潟県の「古津八幡山遺跡」に行った際に、弥生時代の高地性環濠集落から東北地方の人が来た痕跡が発見されている事を知り、考えが変わりました。

古津八幡山遺跡は弥生時代後期(西暦1年〜)頃から始まり古墳時代の始まり(3世紀末頃)に集落が無くなるまでおよそ250年存続した集落跡だと考えられています。

古津八幡山遺跡から出土した土器の特徴から東北地方と人の往来があったと分かっています。

例えば「天王山式土器」という福島県白河市で特徴的な弥生時代後期東北南部の土器が古津八幡山遺跡からも出土しています。

新潟平野の北側を流れる阿賀野川をたどると猪苗代湖会津にたどり着きますし。

また、弥生時代末(3世紀末)に作られた前方形周溝墓は会津にあるのものと類似している事から、会津と古津で文化の交流があっただろうと展示されていました。

3世紀末は第10代崇神天皇の治世と考えており、大彦命を派遣した崇神天皇の時代と一致します。[1世代20-30年と仮定して歴代天皇の誕生年を予測]

 

 

まとめ

古事記日本書紀では大彦命は北陸(高志)を平定して会津にたどり着いたとされている。

新潟県弥生時代の遺跡から東北由来の土器、会津地方と類似した前方形周溝墓が発見されている。

大彦命阿賀野川を遡って会津まで辿り着いたかもしれない。

 

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