古代史好きなサラリーマンのブログ

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神戸旅:椎根津彦(しいねつひこ)を祀る保久良神社へ

この記事は『ドラゴンボール』の亀仙人のモデルになったとも言われる椎根津彦を祀る保久良神社を訪問した記録です。

 

 

保久良神社とは?

保久良神社(ほくらじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良山に鎮座する神社で、『延喜式神名帳』に記録がある式内社です。

 

祭神は須佐之男命、大国主命大歳御祖命椎根津彦命(しいねつひこのみこと)の4柱です。

 

保久良神社を参拝

神社に駐車場がないため、パーキングに車を泊めて20分ほど山道を登っていきます。軽い登山です。

保久良神社の周辺には磐座が配置されており、参道を登る途中にも珍生岩の看板がありました。どこにあるのかはよくわかりませんでした。

頂上に到着しました。眼下に広がる海を見てここまで登って来た達成感を感じます。

珍彦(うづひこ)(宇豆彦)が菟原郡(うばらぐん)の統治を任せられたので、海を見渡せるこのホクラ山にやって来て、祖先神であるスサノオ、大歳神、大国主を祀ったとあります。すなわち、神社の由緒によれば珍彦(うづひこ)(宇豆彦)は出雲系です。

Wikipediaより

兵庫県南部の瀬戸内海沿岸には出雲系の神社が多い(大国主と天日矛の戦いの伝承などもある)ことから出雲から移り住んだ一族が多くいたのかもしれません。

珍彦(うづひこ)(宇豆彦)は速水(はやすい)の門(明石海峡)で日向から大和へ東征する神武天皇と会い、浪速(なにわ)に上陸する手助けをしたため、椎根津彦(しいねつひこ)の名前を賜ったそうです。

明石海峡(あかしかいきょう)は日本有数の潮流が速い海域なので、神武天皇はこのあたりの潮の流れを熟知した珍彦(うづひこ)(宇豆彦)の力を借りる必要があったのかもしれませんね。

 

 

拝殿。

拝殿の裏には巨石(磐座)が鎮座していました。

保久良神社の由緒

保久良神社に伝わる由緒から歴史を以下にまとめました。

縄文人の時代:磐座、石器時代の石斧、石剣、石包丁、石鋤、青銅器時代の銅戈が境内から出土している。縄文人が住んでいたか。

②出雲からの移民:出雲系の子孫が亀に乗って上陸。海を見渡せる場所として宮はこのホクラ山を選んだ 青い亀の背中に乗って上陸したことからこの土地は青亀(アオキ)と呼ばれた。山の先祖の素戔嗚、大国主、大歳神を祀り祭祀を行った。

③神武東征: 神武天皇の時代となると日向から大和に東征した際にこれを助けた。「我は国津神のウズヒコ」と名乗ったという。ウズヒコは神武天皇を河内まで届けた。神武天皇は東征の功労者としてウズヒコに倭国造の称号を賜り、倭宿禰(やまとのすくね)と称した。

倭国造:ウズヒコ改め倭宿禰(やまとのすくね)は信濃、越後を開拓し終えると倭国造を子孫に譲り、と菟原郡(うばらぐん)に戻った。

 

↓新潟の椎根津彦(しいねつひこ)を祀る式内社

保久良神社の西側には銅鐸が出土した桜ヶ丘遺跡があります。弥生時代にこの辺りは九州とは異なる銅鐸信仰の文化があったのでしょう。

丹波にある籠神社の『海部氏系図』の中にも倭宿禰が登場します。果たして同一人物なのかは次回の記事で考察していきます。

 

 

まとめ

・保久良神社には椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が出雲族の末裔として祀られている

椎根津彦命(しいねつひこのみこと)は神武天皇の東征を助けた功績から倭国造の役職を賜っている

椎根津彦命(しいねつひこのみこと)は信濃、越後を開拓した後、この地に戻って来た