この記事では、『呪術廻戦』の乙骨憂太(おっこつ ゆうた)の名字「乙骨」のルーツを辿ると、なんと徳川家康にたどり着くという驚きの歴史があります。 今回は、乙骨憂太のキャラクター設定と、実在する「乙骨氏」の意外な歴史について深掘りします。
『呪術廻戦』の乙骨憂太とは?

『呪術廻戦』より
乙骨憂太は『呪術廻戦』の前日譚である『東京都立呪術高等専門学校』(0巻)の主人公であり、本編でも重要な役割を担う特級呪術師です。
公式ファンブックによると、作者の芥見下々先生は「乙骨」という名字を選んだ理由について、「なんかかっこいいから」とコメントしています。

第二巻より
確かに、一度聞いたら忘れないインパクトとかっこよさがありますよね。
また、名前の「憂(ゆう)」という漢字には、「物思いに沈む、心配する」という意味があります。作中の乙骨憂太の性格を反映していますね。

『北野天神縁起』より
乙骨憂太は日本三大怨霊の一人である菅原道真の子孫であり、最強の呪術師・五条悟とは遠縁にあたることが明かされています。
乙骨という名字は実在する
「乙骨」という珍しい名字ですが現在の日本にも実在するようです。

乙骨姓の発祥は、現在の長野県富士見町乙事(おっこと)、かつての信濃国諏訪郡乙骨邑(おっこつむら)と言われています。

『もののけ姫』より
『もののけ姫』に登場する「乙事主(おっことぬし)」という猪神の名前も、この地名が由来であることは有名です。
乙骨という名字を与えたのは徳川家康
実はこの「乙骨」という名字、戦国時代の終わりの頃に、徳川家康から直接与えられたという記録が残っています。
江戸時代の武家である「乙骨氏(おつこつし)」の家祖は、もともと五味太郎左衛門安利という人物でした。

彼は信濃国(長野県)の乙骨村の名主であり、最初は武田信玄に仕えていました。
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天正10年(1582年)、武田氏が滅亡すると、太郎左衛門は徳川家康に仕えることになります。 その直後に起きた、徳川家康と北条氏直が争った「天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)」において、徳川軍が乙骨村付近に陣を構えた際、土地勘のある太郎左衛門が偵察を行い、軍をサポートしたのです。
この功績から、天正19年(1591年)12月28日、太郎左衛門は徳川家康に謁見し、褒美として、武蔵国八王子大楽寺村(現:東京都八王子市)に5,000坪の土地と屋敷 「乙骨」という新しい姓 を貰い受けたと言います。

こうして、彼は「乙骨太郎左衛門」となり、その後、乙骨氏は幕臣として江戸幕府に仕えることになったのです。
『呪術廻戦』乙骨憂太の先祖が菅原道真である理由
『呪術廻戦』の中で、乙骨憂太は日本3大怨霊として恐れられた菅原道真の子孫である、だから特級クラスの実力を持っていると説明されていました。
実は実在する乙骨氏も菅原道真やそのルーツである古代の出雲属と関係がありそうです。

『呪術廻戦』より
乙骨憂太の先祖である菅原道真は、初代出雲国造(出雲の国を治める長官)の17代の子孫である野見宿禰(のみの すくね)です。

図に表すと上のようになり、日本神話から連綿と続く出雲の統治者の家系であるとわかります。 そして、実在する乙骨の由来となった乙骨村がある場所は、長野県の諏訪大社の近くです。

長野県の諏訪大社の主祭神は健御名方(たけみなかた)であり、かつての出雲の統治者であった大国主の子でしたが、天照(あまてらす)が派遣した武甕槌(たけみかづち)に敗れて、諏訪に落ち延びたと『古事記』に記されています。

諏訪大社の宮司は出雲の統治者の血統である諏訪氏が務めていることから、諏訪地方にはルーツを出雲とする人々が住んでいたことは確かです。 つまり、実在の乙骨の先祖をたどれば出雲系である可能性があります。(証拠はありませんが・・・)
まとめ
・『呪術廻戦』の乙骨憂太の名字は実在する
・乙骨の始まりは武田信玄に仕え、のちに徳川家康からその名を与えられた武士
・実在の乙骨の先祖をたどれば出雲系である可能性があり、乙骨憂太の設定と類似
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