籠神社、眞名井神社を参拝した頃には16:00を過ぎていました。今夜の宿である久美浜まで車で移動することに🚗
途中行ってってみたい神社や古墳も多くあったのですが、グッと堪えて😭
たまたま通りかかった丹後市峰山町の道沿いに扇谷遺跡という弥生時代の遺跡があったので、立ち寄ってみることにしました。
扇谷遺跡を見学してみた
扇谷遺跡は1世紀末〜2世紀初めの集落の跡で竹野川を一望できる丘陵に位置しています。
このアスファルトで舗装された山の斜面の上にあるようです。平野から離れた丘にある弥生時代の村なのでいわゆる「高地性集落」と呼ばれます。
中心のスペース囲むように二重の濠(ホリ)が見つかっており、日本史に出てくる吉野ヶ里遺跡みたいだな〜とワクワク😳
『進撃の巨人』より
濠の幅は4m〜5m、深さは2m〜4m、傾斜角は50度以上あり、濠に落ちれば大人でも一人では登る事ができないだろう。恐ろしい😱
紡錘車(糸を紡ぐための道具)、近畿地方最古の鉄斧、鉄を加工するときにできた鉄屑、ガラスの固まりなど、中国や朝鮮半島との関係を示す出土品が多く発見されているらしい。当時の優れたテクノロジー集団が住んでいたって事ですね〜✨
ただ、最大の謎なのが、濠の中心部分には住居の跡はいっさい見つかっていないそうなんです😱ナゼ?!
これほど大規模な濠を作った人々はいったい外敵から何を守ろうとしたのでしょうか??
扇谷遺跡から出土した大陸の最新技術の証拠
一説には当時の最新トレンドであった「ガラス、鉄、糸」の生産現場があったのではないかと考えられているようです。
最新鋭の技術を奪われないために、工場の周りを巨大な二重の濠で囲ったのではないだろうかというお話です。
この秘密の工場を作らせたであろうお方は扇谷遺跡に隣接する七尾遺跡に埋葬されています。
七尾遺跡には2基の台状墓が見つかっており、丹後の有力豪族の一派が、この秘密工場を作らせたと考えられるのではないでしょうか。
扇谷遺跡から出土した鉄製遺物を日立金属株式会社が分析したところ、砂鉄系原料から製造された鋳造品と推定されたとの事。
砂鉄系減量から製造されたとすれば、1世紀末〜2世紀末に「たたら製鉄」の技術が丹後に伝わっていた可能性があります。たたら製鉄と聞くとますます丹後と出雲は関係が深そうですね。
この砂鉄鋳造の鉄斧が大陸からの輸入品であるのか、国産原料による鋳造であるのかはわかりませんが、もしも丹後で作られたものならば、歴史を塗り替える発見となりそうですね👀
日本書紀の天智9年紀(671年)に、「水碓を造って鉄を鋳造した」の記載がありますが、600年以上前から丹後ではすでに砂鉄を用いて鉄が鋳られていたのかも…
丹後では少なくとも勾玉を作っていた跡が各地で発見されています。勾玉だけでなく、鉄を作り、周囲に与える事によって権威づけをしていたのかもしれないですね。
丹後国、浪漫を感じます。
丹後半島⑥へ つづく!