前回の記事では遮光器土偶が作られた時代は地球寒冷化と重なり、自然への畏れや祈りから土偶を作ったのではないかと考えました。
今日の教科書でも自然崇拝(アニミズム)の例として遮光器土偶が紹介されます。
しかし、自然崇拝と土偶の芸術的なフォルムって直接的に結びつかないですよね?ずっと疑問に思っていたわけです。
そこで今回は遮光器土偶が作られた謎を深掘りしていきたいと思います。
今回のキーワードは「民族大移動」です。
寒冷化がもたらす民族大移動
「民族大移動」といえば世界史で聞き覚えのある人もいるのではないでしょうか。
4世紀後半ローマ帝国にゲルマン人が大量に移住してきたあれです。
原因は寒冷化による耕地不足、フン族の圧迫と言われています。
この歴史的事実は「地球が寒冷化すると人類は南に移動する」という法則を私たちに教えてくれているように思えます。
遮光器土偶が作られた3000年前の日本も寒冷化の時代と言われており、同じ現象が起きていたのではないかと思ったのです。
ヨーロッパのゲルマン民族の大移動に関する記事は↓
寒冷化と渡来人
15000年前に8万年の氷河期が終わりましたが、その後4200年前から一時的な寒冷化がおこり、3000年前にも火山活動の影響などにより寒冷化や飢饉が起きたと言われています。
ちょうどこのタイミングと重なるように大陸から日本列島への移住が見られます。
DNA解析によると、古代日本人は大きく分けて3種類の遺伝子のタイプに分けることができます。下の図は国立遺伝学研究者の斎藤成也教授の『日本人の源流』から引用したものです。
グループA:氷河期の頃より日本列島に住んでいた縄文人(4万前〜4400年前)
現代の東ユーラシア人が持たないD系統のDNAをもつグループがチベット、インドを経由して日本へきたと見られます。
グループB:朝鮮半島西側〜遼東半島海岸沿いに住んでいた人々(4400年前〜3000年前)
縄文時代に渡来してきたので「旧渡来人」と呼ぶことにします。現在の日本人でも日本海側の人にこの遺伝子を多く残っていると言われています。
グループC:稲作をもたらした渡来人(3000年前〜1700年前)
グループBに近いDNAを持つが少し異なる人々で、現在の朝鮮半島の人々ともDNA的には少し異なるそうです。
グループCが朝鮮半島から対馬海峡を越えて九州北部にやって来たのがおよそ3000年前以降と考えられています。
やはり、遮光器土偶が作られた3000年前の日本には朝鮮半島より多くの人々が日本列島に渡来して来たと考えられます。
渡来人はいったいなぜ九州に渡ることになったのでしょうか。当時の朝鮮半島の様子を見ていきたいと思います。
寒冷化と東アジアの戦乱
考古学では3000年前の朝鮮半島は北方の文化の影響を受けた時代と説明されます。
この時代の遺跡から無文土器が出土するようになり、西北部では青銅器が作られた痕跡が見つかっているためです。
また、朝鮮建国の神話には次のような話があります。
中国殷の最期の国王である紂王の親族である箕子が「箕子朝鮮」を建国した。殷が周によって倒された頃紀元前11世紀の話である。
歴史学的には漢代(前206年-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の領域(漢四郡)に移住した漢人たちによって造作された神話・伝承であり、史実ではないとされています。
これが事実ではないにせよ、紀元前11世紀中国は殷を倒す革命が起こる戦乱の時代であり、中国からの難民が多く朝鮮半島に押し寄せ、北方の文化を伝えた事は筋の通った話のように思われます。
北方からの難民に圧迫されるように朝鮮半島に住んでいた人々は南へ移動し、日本列島に渡る人も現れたのが、3000年前ということになります。
渡来人が伝えた青銅器
3000年前の中国といえば、殷が滅び周が建国される時代です。(3100年前殷が革命で倒され太公望が周を建国する)殷は青銅器を駆使した芸術的な遺物を残していることは有名です。
紀元前14〜紀元前13世紀 河南博物院
紀元前16〜紀元前15世紀 鄭州博物館
青銅器は殷王朝が儀式で人々を統治する際に用いたと考えられており、位の高い人しか持つことのできない代物です。
青銅器の模様何か見覚えがありませんでしょうか。
遮光器土偶の模様とそっくりではないですか?
偶然の一致なのか、よくある模様なのか。
それとも、渡来人がもたらした殷の青銅器が青森まで伝えられていたなんて事はあり得るのでしょうか。
上はヒスイが出土した縄文時代の遺跡の分布です。(北海道庁のホームページより)国産のヒスイが取れるのは新潟県の糸魚川だけなので、縄文時代に新潟県から青森、北海道まで海を越えてヒスイが伝わっている事が示されています。
つまり、縄文時代は海路を通じた物流が盛んに行われており、青銅器が東北まで運ばれることは十分にあり得るんです。
そして、ウィキペディアさんから驚くべき事実を語ってくださっていました。
三崎山遺跡(山形県飽海郡遊佐町)では大陸との交易によって入手したとみられる約3000年前の青銅刀子が出土している。日本国内での出土例としては最も古い部類に入る。製造技術などの移入は見られず、縄文後・晩期に現れる石刀は大陸からもたらされた青銅製刀子を模倣したものとする説もある。
青銅器、山形まで来てました(゚ω゚)(゚ω゚)
三崎山遺跡と遮光器土偶の亀ヶ岡遺跡、いずれも日本沿岸に面してます。
殷の時代、儀式によって人々を統治していた一族の末裔が朝鮮半島に辿り着き、日本列島に渡り、海路で東北まで来ていたのか。それとも青銅器だけがたどり着いたのか、ワクワクしますね。
今後東北から遮光器土偶にそっくりな青銅器が出てきたりする日を楽しみにしています。
まとめ
3000年前の地球寒冷化は人類にとって脅威でした。北方に住んでいた人々は暖かい土地を求めて南下し、別の言語や文化を持つ人々と争うことになりました。南下してきたグループに圧迫されて朝鮮半島から日本列島へ移り住んだ人々がもたらした青銅器が巡り巡って東北へやってきたのではないでしょうか。
あるいは、もっと妄想するならば、青銅の鎧を身につけた旧渡来人が東北までやって来て、縄文の人々に大陸の知恵を授けた。それに感謝した縄文の人々は青銅の鎧の人をかたどった遮光器土偶を作ったのではないでしょうか。
今回はDNA解析から辿る日本人の源流と朝鮮半島の歴史を絡めて遮光器土偶について考察してきました! 引き続き縄文時代について投稿していこうと思います!!
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古代史の本を読み漁る中で衝撃を受けた一冊でした!DNA解析と殷周革命、春秋戦国時代と古代日本を繋げてくれる、古代史好きな人は是非読んでほしいです。
殷を倒し周を建国した太公望が主役のジャンプ漫画!ストーリーで歴史を覚えるの好きです。