前回の記事では地球の氷河期が終わり、遊動生活していた時代(旧石器時代)から定住生活(縄文時代)に変化した流れを見てきました。
今回は北の縄文展の目玉であった土偶に迫っていきたいと思います!
遮光器土偶とは?
入口には遮光器土偶(シャコウキドグウ)が待ち構えていました。
縄文時代に作られた土偶の中でも最も知名度の高い一つなのではないでしょうか。
人を惹きつけるデザインから現代でも様々な作品に登場しますよね。
自分は幼稚園の頃に見たデジモンアドベンチャー02の「シャッコウモン」で知りました!
遮光器土偶は青森県の縄文時代の遺跡、亀ヶ岡遺跡から出土した土偶です。その見た目がゴーグルをつけているように見える事から遮光器土偶と呼ばれるようになりました。
「遮光器」とはエスキモーが日差しから目を守るために装備する道具です。
縄文時代の人が遮光器をつけていたわけではなく、定説では目を誇張した表現なのではないかと考えられているそうです。
岩手県一戸町の遮光器土偶が展示されていたので、近くで観察してみました。
横から見てみました。
どう見てもゴーグルつけているように見えます。。
頭の上には冠を被っているようにも見える。
後ろは鎧を身につけているようにも見えてしまいました。
正面から見ると、目の下に歯があったり、鼻の部分は穴が空いてたり、人間の「髑髏」に似ていると思いました。
体に入った模様は入れ墨なのか、服の模様なのか。
結論:
素人の目には「ゴーグルと鎧兜を被ったドクロ」に見えました。
古墳時代に埴輪が作られるようになるのは2000年後ですが、圧倒的にクオリティは土偶の方が高いよな〜と思ってしまいます。
東北で遮光器土偶ブーム?
遮光器土偶に似た土偶が、青森だけでなく、岩手、宮城と東北地方の縄文遺跡から見つかってる事から、交流があった事が推測されています。
縄文時代の人々はいったい何を思って、遮光器土偶を作ったのでしょうか?
縄文時代は15000年前〜3000年前までの間、1万年ほど続く恐ろしく長い時代です。遮光器土偶が作られたのは縄文時代の晩期(3000年前)にあたります。
当時の環境を見ていきましょう。
自然への畏れから土偶を作った?
氷河期が終わって1万2000年の時が流れたころ、温暖な気候は緑を育て、動物たちが繁栄する楽園のような島がありました。
しかし、雪が多く降ったある年の冬から、寒い春が訪れるようになり、春になっても草木は花を結ばず、沢山いた動物たちも姿を見せなくなっていにました。
これが、縄文晩期におこった寒冷化です。
3300年前から始まった寒冷化はおよそ1000年もの間つづきます。当時の人々は深刻な食糧不足に悩まされたことが推測されます。
食糧不足は低栄養と免疫力低下をもたらしたことでしょう。日本列島に26万人いた人口は8万人にまで減少したと言われる暗黒の時代です。
遮光器土偶が作られたとされる時期は、まさにこの冷涼な気候と重なります。
自然の脅威を感じた人々は、「来年の春こそは暖かくなってほしい」と祈り、「健康に生きてほしい」と願ったに違いありません。
そのような背景で作られた土偶ですが、なぜあのようなフォルムをしているのかは謎のままです。
次回は寒冷化と遮光器土偶を繋げる一つのピースを考察していきたいと思います!
③につづく!
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