群馬県高崎市にやってきました。古代の群馬県についてざっくりまとめます。
現在の群馬県の特徴
群馬県の人口は、19万人(2022年)男女比は49.5%:50.5%(全国平均は48%:52%)市町村の中では県庁所在地の高崎市が最も多く37万人です。
人口減少により群馬県の小学生は暗唱必須とされる上毛かるたが「力合わせる190万」になるようです。
『古代の謎を解く「縄文の言葉」』より
群馬県の中央を北から南に縦に流れる利根川は複数の川と合流(我妻川、烏川、碓氷川、鏑川、神流川)して大河となり方向を東へ変えて、栃木県で渡瀬川と合流して太平洋へ向かいます。ダム建設で話題になった八ッ場ダムは我妻川にあります。
長野県との県境には標高2565mの浅間山(日本高さランキング1位富士山3776m、100位が2667m)をはじめ、群馬には多くの火山があり、火山灰に埋もれた縄文、弥生遺跡が多く残されています。
※過去一万年以内に噴火実績のある火山を活火山と呼ぶ。
浅間山の噴火が作り出す地形
今から10万年前、群馬県西側に2800mほどの浅間・黒斑火山(あさま・くろふかざん)が形成 されました。 2万3千年前には浅間・黒斑火山が山体崩壊を起こし土砂が我妻川、利根川を流れて榛名山が作る相馬ケ原扇状地に蓄積して「前橋台地」が形成されました。
群馬県は北、西、南の三方向を険しい山脈で囲まれているため、北陸や長野から移動してくるには山を越えなければなりません。初めて群馬県に来た人類は太平洋から利根川を通って前橋平野までたどり着いたのでしょうか。
群馬県の旧石器時代を伝える岩宿遺跡
岩宿遺跡(いわじゅくいせき)(群馬県緑市)は利根川と合流する渡瀬川の流域にあります。出土した黒曜石などの石器より岩宿Ⅰ石器文化は約3万5千年前、岩宿Ⅱ石器文化は約2万5千年前と判明しました。
群馬県の西側の妙義山を越えた先の香坂山遺跡(長野県佐久市)からは3万6千年前の石器が出土しており日本海から北陸経由で群馬県に来た集団もいそうです。
縄文時代は海があった群馬県
現在は海なしの群馬県ですが、19000年前から始まった温暖化に伴う海面上昇により東京湾が群馬県南部までせまっていました。この時期を「縄文海進」と呼びます。
かつて海だった甘楽郡板倉町渡瀬川周辺からは貝塚が見つかっています。以下は群馬県の縄文時代の遺跡です。
年代不明
滝沢石器時代遺跡
20000年前
11000年〜13000年前
西鹿田中島遺跡(みどり市)
〜6000年〜6500年前縄文海進のピーク〜
6000年~8000年前
八木沢清水縄文遺跡(渋沢市)
4000年前
2500〜3000年前
2000〜3000年前
矢瀬遺跡:Wikipediaより
矢瀬遺跡からは巨大な柱を使った祭祀跡が見つかっており、青森県の三内丸山遺跡を連想します。縄文時代の寒冷化によって南下してきた人々がいたのでしょうか。
群馬県の縄文時代は太平洋から東京湾に上陸した人々、利根川を遡ってきた人々、山脈を超えてきた人々が交わり定住したことで群馬県の縄文時代が始まっていくわけですね。