今回は日本神話の天の磐船伝説と饒速日(ニギハヤヒ)についてまとめていきたいと思います。
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天の磐船伝説とは?
天の磐船(あまのいわふね)をご存じでしょうか?
『古事記』で神の時代を描いた章に登場する空飛ぶ乗り物です。岩でできているのに飛行能力があり神は磐船に乗って世界各地を巡行できたといいます。これがUFOなのでは?日本神話の神は宇宙から来たのでは?と考える人もいるようです。
あくまで神話なので古代日本人は想像力に優れていたんだな〜で終わってしまう話かと思いきや、天の磐船は実在したと語り継がれている場所があるのです。
天の磐船が実在する磐船神社
大阪の西側の大阪と奈良を隔てる生駒山脈の山中にある磐船神社(大阪府交野市)には不思議な伝説があります。その昔交野の地に天の神の国から1人の神様が降臨し、神様が乗ってきた20mの巨大な石の船が神社の御神体であると言われているのです。
磐船に乗って空から降りてた神が饒速日(ニギハヤヒ)です。物部氏の祖先として祀られていますが『記紀』での記載も矛盾が多く謎の神です。
謎の神ニギハヤヒ
ニギハヤヒについて詳しく記した文書に物部の史書『先代旧事本紀』があります。ニギハヤヒは天の神から十種神宝を授かり天の岩舟に乗って河内国に降り立った物部氏の祖先神とされています。
『日本書紀』においても神武天皇が大和に来るよりも先に天照大神から十種の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地に降臨し、その後大和国(奈良県)に移ったと記されています。
『古事記』では、神武天皇が神武東征した際に大和地方の豪族である那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が奉じる神として登場し、ナガスネヒコの妹の登美夜毘売(『日本書紀』では三炊屋媛という)を妻とし、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)をもうけました。神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ)(後の神武天皇)が東征した際には、ナガスネヒコが敗れた後、カムヤマトイワレビコが天照大神の子孫であることを知って配下となったとされています。
ニギハヤヒが持参した十種神宝は『呪術廻戦』の伏黒恵が操る式神の元になっています↓
ニギハヤヒは宇宙からきたのか?
神話とされる天磐船が実在するということは古代の日本に空を飛ぶ能力を持った神?宇宙人がいたのではないか…とワクワクしますが、天磐船伝説は宇宙から来たのではなく、船を使って海を渡り大阪湾にたどり着いた一族の伝承ではないかとの結論に辿り着きました。
船で来たと言っても磐船神社は大阪湾から30km離れており徒歩で7時間かかる事がGoogleマップからわかりますのでこの説は信じられないかもしれません。実は古代の大阪湾は現在と違う形をしていたのです。
大阪歴史博物館より
大阪湾から10㎞離れた大阪城の南側の森ノ宮駅周辺に縄文時代(4000年前〜2000年前)の森之宮遺跡があります。この遺跡からは多くの貝が出土しており、当時この場所が海の底であった事を示しています。
大阪歴史博物館より
4000年前の大阪の町は海の底でした。 大阪東側奈良県との境の生駒山脈のあたりまでは海です。現在大阪城のある場所はというと、周囲よりも地形が高く、南北にかけて半島(上町台地)のようになっていたので、人が住むことができ、人骨や海に生息する貝の化石が残っているのです。
大阪歴史博物館より
2000年経つと広大な河内湾は長い年月をかけて淀川を流れる土砂によって姿を変えていきます。上町台地は北に長くなり、河内湖は小さくなっていきました。
神武天皇(推定誕生年は紀元前120年ー70年)の時代の河内湖は上のような形状をしていたと考えています。
神武天皇の時代予測してみた↓
大阪湾から船でやってきたニギハヤヒは上町台地をぬけて河内湖に入り、生駒山に上陸しました。生駒山には巨石を信仰する縄文文化を持った集団(ナガスネヒコ)が住んでおり、ニギハヤヒらが彼らと同化したものが磐船信仰ではないでしょうか。
磐船神社以外にも大阪や奈良には磐船信仰がみられます。例えば矢田座久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ) の伝承ではニギハヤヒが磐船に乗って空を飛んでながら3本の矢を放ち、矢が落ちたこの場所を宮殿としたとしています。『記紀』にあるように河内にたどり着いたニギハヤヒは船を使って奈良湖に入り大和地方に進出していった道筋を感じます。
大阪湾からやってきた渡来系のニギハヤヒと縄文文化をもつ長髄彦の妹を妻とし生まれた子がウマシマジ。神武天皇と同族であったニギハヤヒは『記紀』にもその存在を加えられ、その子孫の物部氏は大和政権を支える一豪族となります。物部氏が守ってきた神道が、仏教信仰によって衰退する転換点となったのが、蘇我、物部の対立(丁未の乱)というわけですね。
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