古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きなサラリーマンが全国を旅した発見を書き連ねます。

牛乳の歴史 牛乳は薬だった?日本に牛乳が伝わってきたのはいつ?

学校給食にも採用される牛乳は栄養満点なスーパーフードであるという認識は現代人にとって疑う余地のない事でしょう。

 

一方で最近では牛乳を飲むと良くないという情報もあり、混乱しています。

 

そこで日本における牛乳の歴史をざっくりまとめてみました。

 

 

日本に野生のバイソンがいた?

日本にはいつから牛がいたのでしょうか。

考古学的には数万年(前旧石器時代)岩手県一関市の金流川(きんりゅうがわ)流域の金森遺跡(かなもりいせき)から多量の牛骨化石が発見されています。

この化石はバイソンの一種の骨であると考えられて「ハナイズミモリウシ」と名付けられました。

つまり、最後の氷河期が終わる前の日本列島にバイソンがいたということです。

 

この頃の人々はバイソンの牛乳を飲んでいたのでしょうかね。

 

現在日本に生息する牛はハナイズミモリウシの子孫なのかと言えば、違うようです。

 

現在の日本の牛は約2300年前(弥生時代)に渡来人がアジア大陸で家畜化した牛を持ち込んだとされています。

 

牛がやってきたのは弥生時代

牛が初めて日本にやってきたのは縄文〜弥生時代のようですが、それほど牛は日本に普及していなかったようです。

 

邪馬台国(やまたいこく)」の記述で知られる古代中国の史書魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にも、3世紀半ば(弥生時代末期)の日本には「牛馬なし」と記されています。

今城塚古墳の牛形埴輪

牛が日本で本格的に広がるのは、約200年後の5世紀半ば、古墳時代です。しかし、畜産というよりも農耕や干拓といった土木技術の労働力として、牛を活用していたようです。

 

古墳時代後の飛鳥時代(6世紀末~8世紀初め)には、牛が農地で力を発揮していた痕跡があるります。兵庫県淡路市の田井遺跡には、水田に人と牛の足跡がくっきり残り、丹波市梶原遺跡や多可町の安坂・城の堀遺跡では、牛に引かせて田畑を耕す道具「唐鋤(からすき)」も発見されています。

飛鳥時代は薬だった牛乳

日本で牛乳に関する記載が初めて登場するのは815年(嵯峨天皇)に編纂された『新撰姓氏録』で650年渡来人によって孝徳天皇に献上されたとあります。

この頃の牛乳は食品というよりも薬として飲まれていたようです。

 

牛乳を献上したのは中国の呉人の末裔の善那使主(ぜんなのおみ)という人物です。

 

善那使主(ぜんなのおみ)の父、智聡(ちそう)も日本に初めて医学書を伝えており代々医療に携わってきた家系だとわかります。

 

智聡(ちそう)は百済に移り住んだ南朝梁の移民で、欽明天皇の時代に大伴狭手彦に連れられて百済から日本にやってきたとされています。

 

善那使主(ぜんなのおみ)は孝徳天皇より和薬使主(やまとのくすしのおみ)の姓を賜っており、子孫は典薬寮において「乳長上」という職名を与えられるなど、薬としての牛乳が重要視されていたことがわかります。

 

天皇家に愛された牛乳

牛乳の魅力に取り憑かれた天皇は次々と牛乳関連の法律を制定していきます。

 

701年に制定された大宝律令(たいほうりつりょう)では、皇族用の指定酪農家、乳戸(にゅうこ)が都の近くに集められ、宮中に牛乳約2.3Lを供御し、余りは煮詰めて保存性のよい「酥(そ)」を作ったと記録があります。

 

現代のように殺菌消毒できないので、新鮮さが命ということですね。

 

奈良時代になると、718年 元正(げんしょう)天皇が七道諸国に酥(そ)=蘇の貢納(税として納めること)を命じました。

 

「酥」(スー)は、本来バターを指すが、現代では「小麦粉に脂肪や砂糖を混ぜて作った柔らかい菓子」 ( 蔡治平主編『永大簡明中日辭典』(永大書局)から引用 ) 

平安時代になると 貢酥の制度がますます盛んになります。924年『延喜式』に各地区の貢酥の量と納める年の順番が定められました。

 

984年 日本で一番古い医術書「医心方(いしんほう)」には、“乳は全身の衰弱を補い、通じをよくし、皮膚をなめらかに美しくする”と古代乳製品の効用や、”牛乳を服するときは必ず一、二回煮沸し、冷えてから飲むべし”など衛生的知識が記されています。

1871年(明治4)の『新聞雑誌』には “天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む”という記事があります。

 

これは明治政府が肉食、牛乳を飲む文化を根付かせるために天皇を利用したものではありますが、天皇家の牛乳を飲む習慣は近代まで受け継がれていたんでしょうかね。

 

醍醐天皇の由来は牛乳?

醍醐天皇の時代、「貢酥の儀」の順番、献上する容器を、法典『延喜式』に定めました。

 

また醍醐天皇の「醍醐」という単語も牛乳が由来になっています。

日本乳容器・機器協会より

仏教の大乗経典『大般涅槃経』では、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいものの例えとして、涅槃経は最後で最上の教えであると主張しています。

 

「醍醐」とは、酪の精汁で、蘇の上に浮かぶ油のようなもので、その味が「甘味を極めた味」とひて知られ「醍醐味」の語源にもなっています。

 

仏教に積極的だった醍醐天皇が最上で最後の天皇の意味を込めて「醍醐」と名乗ったということですね。

 

このように天皇、貴族の間に広まった牛乳飲用でしたが、仏教で殺生を禁じる教えが説かれたり、朝廷の勢力が弱まるとともに廃れていきます。

 

醍醐天皇といえば菅原道真太宰府に流した方

 

庶民にとっての牛乳

古代から天皇家には薬、嗜好品として愛されてきた牛乳文化が仏教観によって廃れてきたことを見てきました。

 

では庶民が牛乳を飲んだのはいつからでしょうか。

庶民が牛乳を飲むようになったのは明治時代以降と考えられ、その背景には牛乳は牛の血液とみなされ、血をけがれとする意識の強い日本人にとって受け入れられそうもないものだったのではないでしょうか。

 

中国明の時代に李時珍(りじちん)によって撰述され1596年に完成した中国の本草学史本草綱目』では「乳汁は陰血の変化したもので、脾、胃に生じ、受胎せぬうちは下って月経となるが、受胎すると留まって胎児の栄養となり、出産すれば赤が白に変じて乳汁となる」というあります。

 

このように、東洋の医学では、牛乳=月経=血という説を提唱しています。

 

これは、人においても当てはまる事で、出産後授乳しない人は、授乳する人よりも月経の再開が早いとわかっています。

 

牛乳を忌み嫌っていた庶民に対して、牛乳を飲む習慣を推し進めたのが明治政府です。

前にも述べたように国の権威である明治天皇を使ったPRや、福沢諭吉インフルエンサーになって牛乳の栄養を不老長寿の飲み物と紹介して流行らせようとしています。

 

食の西洋化と牛乳ブームによって牛乳需要が高まる中で、腰刀を失った旧氏族が畜産事業を始めています。

 

松方正義由利公正、坂川當晴、副島種臣榎本武揚大鳥圭介山縣有朋大久保利通といった名高い元勲や士族達も牛乳搾取業を営んでいます。

たしかに、『チームオベリベリ』で明治時代に北海道十勝地方の帯広を開拓した晩成社の創始者依田勉三も牛を連れてきて畜産事業頑張っていました。

まとめ

旧石器時代の日本にはバイソンが生息していたが牛乳を飲んでいたかはわからない。

・古代から牛乳を飲んでいたのは日本人の中でも一部の上流階級だった。

・庶民の牛乳を飲む習慣は明治政府による西洋化政策の一環だった。