古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きなサラリーマンが全国を旅した発見を書き連ねます。

大阪の地名の由来と古代史

大阪には日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳があるように古代から栄えてきた地域でした。

 

そのため現在の大阪にも古代から受け継がれてきた地名が多く残っています。

 

大阪市の24区の中から古代の地名が由来となる区を紹介していきます。

 

浪速区(なにわく)の由来は王仁の歌か?

百済からきた博士、王仁(わに)が詠んだといわれる「浪速津に 咲くやこの花 冬ごもり 今ははるべと 咲くやこの花」 という歌が由来となっています。

 

王仁(わに)とは何者なのでしょうか。

王仁とは15代応神天皇の時代に百済(くだら)からやってきた渡来人です。

 

日本書紀』によると、応神天皇の息子、菟道稚郎子(うぢのわきいらつこ)の家庭教師で渡来人の阿直岐(あちき)が「自分よりも優秀な人材が百済にいる」と王仁を推薦したため、百済より王仁が招かれたとあります。

実在する天皇から遡ったより

応神天皇の時代となるので、4世紀中旬〜後半だと考えられます。

応神天皇崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合い3年間も空位となってしまいます。

後に大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となります。初代天皇である神武天皇が九州から大和に東征する際、大阪湾あたりの潮の流れが速かったため、「浪速」と名付けたこの地に難波高津京を設立します。その時に王仁が読んだのが先程の「難波津の歌」とされています。

現在高津宮跡地とされる高津宮は大阪市中央区にあります。

 

応神天皇が活躍した4世紀に関する記事

此花区(このはなく)の由来も王仁の歌か?

1925年(大正14年)北区と西区が分れて新区が創設される時、王仁(わに)が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から引用して此花区と名づけられました。

 

此花区といえば2001年3月31日に開園したユニバーサル・スタジオ・ジャパンがある事で有名です。

大阪教育大学より

此花区舞洲夢洲は1970年からゴミ処理場として焼却物や建設残土によって形成された埋めたて地です。

住吉区(すみよしく)の由来は住吉津か?

住吉区の由来は細江川(通称・細井川)の河口に形成されていた住吉の細江と呼ばれる入江だと考えられています。

 

「住吉」は平安時代頃まで「すみのえ」と呼ばれており、「墨江」「清江」とも表記されていました。

 

「住吉」が初めて文書に確認されるのは『日本書紀神功皇后摂政元年条で忍熊皇子応神天皇の異母兄)が駐屯したという記事です。

 

 また、『日本書紀雄略天皇14年正月春条では、呉に派遣されていた身狭村主青が住吉津に呉の使者を連れて帰って来ています。

 

住吉津は難波津よりも河内・大和方面へのアクセスの良かったことから古代において重宝されていたと考えられます。

 

また、仁徳天皇の皇子でありながら反乱を起こした墨江仲皇子を祀る丸山大明神がある点も気になります。

 

 

都島区(みやこじまく)の由来は古代の都?

「都島」の地名は、15代応神天皇大隅宮(おおすみのみや)や36代孝徳天皇の長柄豊碕宮(ながらとよさきのみや)が淀川を隔てた対岸辺りにあったと想定し、これらの宮の近くで生まれた、あるいはこれらの宮廷に向き合う島という意味の「宮向島」が転化したものと考えられています。

現在の都島区は完全に地続きなので島という感覚はありませんが、たしかに大隈宮と長柄豊崎宮の間に位置しています。

上は十三の今昔を歩こう!から転載させていただいた高低差マップです。縄文時代晩期〜弥生時代前半(約3000〜2000年前)は都島区は河内湖の底にあるとわかります。

 

そこから時が立って堆積した土砂が島を形成したということでしょうか。

 

天王寺区(てんのうじく)の由来は

天王寺の地名は四天王寺に由来しています。

日出処の天使より

552年丁未の乱にて蘇我馬子物部守屋が争った際、聖徳太子が四天王の像を彫ったところ戦いに勝利し、このお礼に太子が四天王寺を建立したと伝えられています。

丁未の乱はなぜ起きた?

福島区(ふくしまく)の由来は菅原道真

菅原道真平安時代初期の人物(845-903)で朝廷の最高職である太政大臣に就任しています。

 

これを憎んだ藤原時平(ふじわらのときひら)は当時の天皇醍醐天皇に「菅原道真天皇廃帝させるために陰謀を企てている」と伝え、菅原道真は無実の罪を着せられることに。 その後、時平の言葉を信じた醍醐天皇により、菅原道真は左遷され大宰府に送られてしまいます。

901年菅原道真(すがわらのみちざね)が大宰府(だざいふ)へ左遷される途中、風待ちのため、この地にとどまったことに由来し、福島という地名も菅原道真命名と伝えられています。

大宰府に流された恨みから怨霊になった菅原道真