2023年9月16日より東京上野にて「永遠の都ローマ展」が開催されると聞いて、古代ローマについて調べてみることにしました。
1805年に描かれたアルプスを超えるナポレオン
18世紀の西洋では古代への関心が高まっていました。その背景の一つが1748年にポンペイ遺跡が発見された事です。
ポンペイとは
紀元前4世紀以来繁栄しましたが、79年のベズビオ火山の大噴火で埋没した都市です。
ポンペイの遺跡は人々の古代への関心を高めました。
石膏で復元された遺体 Wikipedia
火山噴火によってポンペイの街全体が火山灰に埋もれてしまったことで、古代ローマ時代の芸術や生活跡が残されていたからです。
ポンペイ遺跡芸術分野にどのような影響を与えたのでしょうか。
ロココ時代と背景
当時18世紀の西洋では「ロココ」と呼ばれる芸術様式が流行していました。ロココとはフランス発祥の芸術様式で「優美で繊細 ・甘美で官能的」である事が特徴です。
フランソワ・ブーシェ 『ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』1756年
ロココは太陽王ルイ14世が没した後、1715年頃~萌芽を見せはじめ、ルイ15世の代に隆盛しました。
ルイ15世(ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー画、ヴェルサイユ宮殿蔵)
絶対君主制で貴族達をヴェルサイユ宮殿に住まわせて規律を重んじたルイ14世と対照的に、ルイ15世は政治に関心が無く、自由奔放で、多くの愛人がいたと言われています。
そのような貴族社会を反映するように広まった芸術様式がロココと考えられます。上のロココ代表的な作品である『ポンパドゥール夫人の肖像画』に描かれたポンパドゥール平民出身でしたが、ルイ15世に気に入られた事で、夫と離婚し公妾隣となりました。規律もクソもありません…
ジャン・オノレ・フラゴナール 「ぶらんこ」 1768年
上はロココを代表する作品です。ぶらんこに乗る若い娘とでぶらんこを押す僧侶が描かれています。注目していただきたいのは、左下の若い男性貴族。
肩肘をついて転んでしまったのでしょうか。視線の先は完全に女性のスカートの中をみている様子が描かれています。
ルイ14世が見たらブチギレ案件ですが、ロココ風芸術なのです。
新古典主義の登場
ジャック=ルイ・ダヴィッド 「ホラティウス兄弟の誓い」 1784年
フランスで流行したロココで描かれるのは貴族ばかり。生活水準の高い一部の貴族達が楽しむ芸術であったことがわかります。
そのような中で18世紀中旬にポンペイが発見された事が、ローマ時代の芸術、古典が再評価されるきっかけとなったのです。新古典主義の誕生です。
新古典主義(neo crassicism )の「古典」とは、ギリシャ・ローマ時代を指します。
古典への回帰を求める動きは、15世初旬のルネサンスにもありましたので、18世紀中旬の芸術様式をルネサンスと区別するために「新古典主義」と呼ばれるようになります。
新古典主義では、神話や古典的な世界の勇ましさを描いたものが多く、美しさや官能的な要素が強いロココとは対照的な印象を受けますね。
ジャック=ルイ・ダヴィッド「皇帝ナポレオン1世の戴冠式と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」 1805-1807年
フランス革命後に実権を握ったナポレオンは、これらの芸術を政治的に利用しました。上の作品もまた、新古典主義を代表するジャック・ルイ・ダヴィッドの作品です。
まとめ
甘美で官能的・貴族的なロココ美術を見ていると、王族・貴族は豊かな暮らしをしていた一方で、重税により苦しみ、妬み、怒りを抱えた市民が革命を起こしていく過程を見る事ができます。
市民はポンペイの古代遺跡を楽園としてとらえ、理想の世界を作るために立ち上がったのでしょうか。
1748 ポンペイ発見
1756 ポンパドゥール夫人
1768 ぶらんこ
1784 ホラティウス兄弟の誓い
1787 ソクラテスの死
1805 アルプスを超えるナポレオン
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