赤羽駅西口に太田道灌が築城したと伝わる稲付城跡があるようだったので訪問してきました!
太田道灌は戦国時代に活躍した武将で徳川家康が移ってくる前の江戸城の築城主です。
赤羽の特徴
赤羽は埼玉県から荒川を隔てたところにある東京都と埼玉県をつなぐターミナル駅で、東京都北区に位置します。人口は1万人の町です。
赤羽の地名の由来は赤埴(アカハニ)と呼ばれる赤い粘土が産出されたことから。赤い粘土とは関東特有の火山灰で形成された土壌(関東ローマ層)のことですね。
JR赤羽駅を降りると東口は飲み屋街。せんべろできる町として人気です。
太田道灌ゆかりの稲付城へのアクセス
西口はデパート、マンションの開発エリアという印象でした。
西口から出て南へ歩くこと5分
住宅街の中に階段が現れます。
城の跡地は曹洞宗の寺院(静勝寺)になっています。都内とは思えない静寂さに包まれていました。
太田道灌と稲付城
稲付城(イナツケジョウ)
太田道灌が作ったと伝えられる戦国時代の砦跡。実際に誰が築城したのかは不明ですが、発掘調査で16世紀に作られた城の空堀が確認されている事から城があった事は確か。
この付近は鎌倉時代から岩淵の宿が設けられ、室町時代には関が設けられていたそう。岩淵という地名は東京メトロ赤羽岩淵駅に残されていますね。
かつて、交通の要所だった赤羽に江戸城と岩槻城を中継するための山城として築かれたのでしょう。
江戸名所図解にある静勝寺。太田道灌の亡んだ後、狐兎の住処となっていた稲付城の跡地に、道灌寺が建てられた。その後太田道灌の子孫が堂舎を建立して静勝寺と改められた。
敷地内には太田道灌を祀る像がありました。太田道灌は室町時代に扇谷上杉(オウギガヤツウエスギ)家に仕えた人物です。
当時の関東地方は鎌倉公方によって統治され、トップは足利氏の世襲制でした。鎌倉公方をサポート役として京都から関東管領として派遣されたのが上杉氏で、その分家が扇谷上杉です。
室町時代の中頃、鎌倉公方と関東管領が対立して戦乱となっていく中で活躍したのが太田道灌です。
太田氏の由来
太田道灌の家紋「丸に細桔梗(キキョウ)紋」清和源氏の血筋の氏族が使用する事が多く、太田道灌も清和源氏の嫡流摂津源氏の末裔です。
丹波国太田郷(現在の京都府亀岡市)に住んでいた摂津源氏の子孫が、地名から取って太田と名乗り始めたのが始まりです。
同じ「おおた」の読みをもつ姓に景行天皇の末裔の「大田君(おおたきみ)」を祖とする「大田氏」がいますが、「大田部」という部民が誕生しましたが、「大田氏」が同じになるのを拒否し、「太田部」に変更するよう命じたという説もあるそうです。
太田道灌の子孫が建てた静勝寺。
今も昔も交通の要所だった赤羽の歴史を感じる今日この頃でした!