古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きです。

さきたま古墳①埼玉県名のルーツ「さきたま」の謎

お盆休み地元に帰省したので、「さきたま古墳」に行ってきました!

さきたま古墳とは埼玉県行田市(ぎょうだし)埼玉(さきたま)にある古墳郡が保存された公園です。

 

5世紀後半に突如巨大な古墳が作られはじめ、7世紀中頃の150年の間にさきたまの狭い範囲に多くの大型古墳が密集する謎のエリアであり、古代史好きにはたまらない場所です!

 

故郷の古墳の魅力を紹介したいと思います!

 

 

 

さきたまという地名の謎

埼玉と書いて「さきたま」と読む事から、埼玉県から取ったのかな、と思われる方も多いかと思いますが、実は逆なんです。さきたまが埼玉県名発祥の地なのです。それではいつから?なぜ?さきたまと呼ばれるようになったのでしょう…

 

「さきたま」が文書に初めて登場するのは、奈良時代の文書にまでさかのぼります。

726年(神亀3年)の『正倉院文書戸籍帳』には、現在でいう埼玉県北東部に設置された郡を武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)として記しています。

(※正倉院文書戸籍帳:第45代聖武天皇の時代に作られた。本文未公開。年に一度10月に一般公開されるので見に行きたい)

 

この時は埼玉ではなく前玉という漢字を当てていた事がわかります。江戸時代までは埼玉とは埼玉県全域ではなく一部の地域である埼玉郡(さきたまぐん)を指していました。

 

多摩の先にあるから先多摩になったという説もありますが、多摩郡と前玉郡の間には他の郡が置かれており、どうなんでしょう…。

埼玉県行田市さきたま地区にあるさきたま古墳郡や神社から由来を考えていきたいと思います。

 

前玉神社はさきたま発祥の地か?

さきたま古墳公園から徒歩5分、「前玉神社」があります。読み方はサキタマジンシャです。延喜式に掲載されている事から少なくとも927年には存在していた歴史ある神社であり、さきたまの始まりの地名の由来はここではないかと期待できます。

Wikipediaより

前玉神社は浅間塚古墳(センゲンヅカコフン)という7世紀前半に作られた円墳の上に立っており、地元ではセンゲン様と呼ばれています。

さきたま史跡の博物館より

7世紀前半はさきたま古墳群の中で後半に作られたということになります。その名残として社が古墳群に向かって祈願するように建立されています。

 

前玉神社の社伝によれば雄略天皇の時代〜安閑天皇宣化天皇の時代に創られたと伝えられているそうです。

雄略天皇は5世紀前半、安閑天皇宣化天皇は6世紀前半の方ですので、浅間塚古墳が作られたとされる7世紀前半とは若干ずれがあり、あまり信用できません。(歴代天皇の誕生年参照)

 

考古学的な推定年代7世紀前半に作られたと仮定すると、浅間塚古墳の上に作られた前玉神社の建立は7世紀前半以降となります。

 

前玉神社が位置する地域はやがて埼玉(さきたま)郡と呼ばれるようになり、726年『正倉院文書戸籍帳』に記録されたこともありえるでしょう。

埼玉(サキタマ)の地名の由来は?

サキタマの地名の由来については二つの説が考えられるかと思います。

サキタマという地名があった土地に神社を建て前玉神社と名づけた。

 

②サキタマという名前は神社ともに外から持ち込まれた。

 

 

①サキタマという地名があった土地に神社を建て前玉神社と名づけた。

①については次の事が考えられるそうです。はるか昔この神社のあった場所には入江があり、海に突き出た陸地「崎」があったのではないか。

 

こう思うのは、地元ではさきたまは昔は海だったという伝承が残っているからです。『万葉集』にも次の埼玉の入江の歌があるからです。

 

埼玉の 津に居る船の風をいたみ 綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね

 

埼玉の津に泊めてある船の綱が風で切れても、大切な人の便りは切れませんように、というような意味です。

 

埼玉は冬になると物凄い北風が吹いて自転車は立ち漕ぎを余儀なくされます。群馬県赤城山から平野に降りてくる「赤城おろし」と呼ばれてますがこの頃からあったのですね。

 

この海なし県埼玉県の北側、関東平野のど真ん中が海だったことなど考えられるのでしょうか??

 

万葉集に残るさきたまの津の謎

地質学的には縄文時代まで遡ると、関東平野が海だった事がわかっています。

 

上は代々木ゼミナール地理講師でコラムニストの宮路秀作さん(@miyajiman0621)が作成した地図です。

 

国土地理院の地図を用いて標高10m未満の地域を濃い青で示し、「貝塚」と地名が残る場所に旗を立てたところ縄文時代の海岸線を予測できたとの報告です。すなわち、縄文時代関東平野の大部分が海の底だった事を物語っています。

 

Googleマップで位置を確認してみると、少なくとも蓮田市あたりまでは海だった事がわかりました。しかし縄文時代まで遡っても行田市には海はないようです。海ではないとしたら万葉集に読まれた埼玉の津とは何のことなのでしょうか。

 

上はブラタモリで紹介されていたさきたま古墳群の周囲の河川の様子です。現在のさきたま古墳の北に利根川、南に荒川が流れております。

古墳時代の頃は利根川水系荒川水系が複雑に絡み合い、古墳群を取り囲んでいた事がわかっているそうです。さきたま古墳のある場所は水運の要所だった可能性があります。

 

これらのことから、縄文時代のさきたまは今よりも海(太平洋)からの距離が近かった。さきたま古墳の周囲は川に囲まれ船を操る人々の拠点になっていた可能性があります。『万葉集』さきたまの津の歌より、川の先端に突き出た台地をさきたまと呼んだのかもしれません。

 

縄文時代利根川を遡ってこの地にたどり着いた人々は埼玉の津の先端(海側へ突き出たところ)にあるこの場所を神の魂を崇める聖なる場所として「サキタマ」と名づけ、その後5世紀古墳時代となると、大和政権と関係を持った豪族がさきたまの他に住み、古墳を作り、聖なる土地であったこの場所に神社を建てて聖域として受け継いでいった。と考えられるのではないでしょうか。

 

②サキタマという名前は外から持ち込まれた説

前玉神社の祭神は前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱の神です。

 

サキタマヒメは『古事記』の系図の中に記載がある人物です。(日本書紀には登場しない)気になるサキタマヒメの系図を確認してみましょう。

サキタマヒメの父は天之御中主神(アメノミナカヌシ)とあります。アメノミナカヌシといえば記紀において世界が誕生する際に登場する最も古い神様である事から、古来より日本列島に住んでいた人々(縄文文化を大切にする人々)を指すと解釈する事にしたいと思います。

 

前玉比売(さきたまひめ)と出雲の関係

前玉神社ではサキタマヒメの夫はサキタマヒコとされておりますが、古事記では「速甕之多気佐波夜遅奴美神」(ハヤミカノタケサハヤジヌミ)と記されています。ひとまず同一人物と考えて系図を遡っていきます。

曽祖父が島根県出雲大社の祭神、因幡の白兎の神話で有名な「大国主」である事がわかりました。

 

大国主が祀られる出雲大社の儀式の際には「サキミタマ、クシミタマ、マモリタマエ、サキハエタマエ」と唱えるそうですが、サキミタマとは人々に幸福を与える神の魂を意味するそうです。オオクニヌシの末裔がこの地にやってきた時に一族の繁栄を願って「サキミタマ」を祀った事が始まりなのかもしれません。埼玉県にはさきたま古墳の他にも、大宮の氷川神社に素戔嗚(スサノオ)が祀られているなど、出雲系の神と何か関係がありですので、引き続き調べていきたいと思います!

 

つまり、前玉神社には大国主の子孫と、縄文人の子孫が夫婦として祀られている事になります。前玉神社は浅間塚古墳の上に作られた神社である事から、サキタマヒメが祀られたのが古墳が作られた後と考えると次のような流れを予測できます。

 

5世紀後半 シキの宮で雄略天皇の仕えたヲワケの臣がサキタマに赴任。稲荷山古墳を作る。(稲荷山古墳出土の鉄剣より)

 

7世紀前半 浅間塚古墳作られる。

 

7世紀前半以降 浅間塚古墳の上に前玉神社作られる。

 

711年 元明天皇太安万侶に『古事記』の編纂を命じる。 

 

726年 『正倉院文書戸籍帳』に前玉群が記載される。

 

927年 『延喜式』に前玉神社掲載される。

 

以上のことから「サキタマ」と出雲を絡めて以下の仮説が考えられます。

 

①ヲワケの臣は縄文系で、出雲系が儀式を司るため中央から派遣され婚姻した事を示している。

 

②ヲワケの臣は出雲系でさきたまの地に住んでいた縄文系と婚姻した事を示している。

 

 

さきたまの由来まとめ

・川の先端に突き出た台地であるサキタマは太古より聖域だった。

・他地域からやってきた集団が神社を建設するにあたり一族のルーツであるのサキタマヒメを祭神とした。

 

真実はいかに!

あなたはどれを信じますか?😊

 

今回は埼玉県名のルーツである「さきたま」の由来について考えてきました。次回はさきたま古墳群の中で最古の古墳である稲荷山古墳から発掘された国宝「金錯銘鉄剣」について書いていきたいと思います!

さきたま古墳②へ つづく

rekitabi.hatenablog.com

[rakuten:book:10657248:detail]

 

 

前玉神社に関する記事はこちら↓

rekitabi.hatenablog.com