札幌時計台から歩く事10分。
大通公園の近くを流れる創生川に銅像と展示があったので立ち寄ってみました。
前回の記事で元佐賀藩士の島義勇が札幌の町作りに尽力した事を書きました。
島義勇が札幌に来る前に「大友亀太郎」という方が札幌の原型を作っていたそうです。
大友亀太郎は相模国(神奈川県)生まれの幕臣で江戸時代末〜明治時代にかけて北海道を開拓するためにここにやってきたそうです。二宮尊徳の門下生としても知られ、札幌市の中心部を流れる創成川の元となった「大友堀」を掘るなど土地の開発に尽力しました。
箱館奉行に蝦夷地開墾の計画書を提出した事でその手腕が認められ、石狩地方開拓の名を受けました。
大友亀太郎は札幌市東区(元町)を選んで開墾し、札幌市街づくりの発端となりました。
1866(慶応2)年幕府から派遣された大友亀太郎は米作りのための用水路として大友堀を開墾しました。その方角は南北を示していたため、1869(明治2)年島義勇が大友堀を基準に札幌の町作りを開始しました。
明治2年には大友堀に丸太を並べ板をかけただけの橋だったものが、明治4年木の橋がかけられ、1910(明治43)年東京日本橋と同時期にモダンな石造のアーチ橋に架け替えられました。
現在でも石造の創生橋が残されています。
大友亀太郎のモットーは「人の人生は金銀財宝を富めるにあらず。積善の道に如かず。」だそうです。
当時原野であった札幌を開拓した大友亀太郎の人柄が反映されたメッセージだと思います。
開拓のバトンは次の世代に受け継がれていきました。