前回の記事では江戸時代に成立した松前藩が幕末に戊辰戦争(箱館戦争)の舞台となり終焉を迎えるまでの流れを紹介してきました。
今回は2021年11月北海道函館市を訪れたときの写真を振り返りながら明治初期の箱館戦争についてまとめて行きたいと思います。
函館といえば、五稜郭!!
歴史好き、幕末好きなら一度は行ってみたいのではないでしょうか!!
五稜郭は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭である。(wikipediaより)
前回の記事でざっくりと松前藩の歴史を紹介させていただきました。
外国船が日本近海に現れるようになったことで、当時人があまり住んでいなかった蝦夷地(現在の北海道)が侵略されるのでは?と警戒した江戸幕府が、蝦夷地を直接管理するために1799年「松前奉行」を置きました。その後蝦夷地の管理は松前藩に戻されますが、1853年には箱館港が開港された事を受けて箱館奉行所が設置されます。奉行所を守るために作られたのが五稜郭です。
五稜郭駅は函館駅からJRで30分ほど離れています。五稜郭駅から五稜郭公園までも距離があり徒歩移動は困難でしたので、五稜郭駅でレンタカーを借ります。
30分ほどで到着!
五稜郭の堀に架かる橋を渡っていきます。
ここの部分です。堀の幅は約30mあります。周囲に隠れる場所もなく剥き出しです。渡っているうちに上から狙い撃ちされてしまいそうな構造です。
箱館奉行所の入り口に到着。
天気が悪いですが、箱館奉行所。1853年箱館開港時に函館山に置かれた箱館奉行所の移転先として築城され1866年(慶応2年)に完成しました。中は資料館になっています。
完成から1年後に江戸幕府が崩壊(1867年11月9日)して間も無く箱館戦争が始まります。
(榎本武揚:外国人カメラマンの見た幕末日本Iより)
明治元年(1868)8月,元幕臣榎本武揚率いる旧幕府軍は当時最新式であった江戸幕府の軍艦を盗み品川沖を出発します。
同年10月20日榎本武揚率いる旧幕府軍蝦夷地の鷲ノ木(わしのき)(現茅部郡森町。かやべぐんもりまち)へ上陸。数手に分かれて五稜郭を目指します。
10月26日には箱館府兵が青森口へ逃亡した結果、無人の五稜郭を占拠することになりました。
この後に松前や江差方面も相次いで旧幕府脱走軍が占拠し、12月15日には,榎本武揚を総裁とする蝦夷地仮政権が樹立されました。箱館奉行所は旧幕府軍の本拠となります。
五稜郭公園にある五稜郭タワーに登ると、五稜郭が一望できます。中は箱館戦争の資料館になっており見応え抜群です。
五稜郭タワー内に元新撰組の土方歳三の像がありました。土方歳三は仙台にて開陽丸に乗り込み、榎本武揚らとともに旧幕府軍として箱館戦争に参戦します。
箱館奉行所を拠点にしていた旧幕府軍に対して、新政府軍は江差から上陸し三方向から進軍してきます。陸軍総奉行所並・土方歳三は「二股口の戦い」で指揮を取りました。
五稜郭タワーには箱館戦争に関する展示が充実していたのに、当時歴史にそれほど興味がなかったため写真がないことが悔やまれます。。
箱館戦争が終わり、明治に入ると郭内の建物は兵糧庫1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用されました。
1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、函館を代表する観光地となりました。
春は桜の名所、冬は白雪に包まれた五稜郭の姿は函館市民が誇る名所となっています。
開陽のミニチュアが展示されていました。
次回は箱館戦争における新政府軍の上陸地である「江差」について書いていきたいと思います!