古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きなサラリーマンが全国を旅した発見を書き連ねます。

マズローの自己実現論で自分探し

人事異動の時期になりました。同期は営業部から本社の経営やら海外事業部に異動する人も現れる中で、乗り遅れた!と焦りを感じています。今後のキャリアに悩む28歳のこの頃です。

 

今までは営業部って楽しいな〜くらいにしか思っていなかったのですが、自分は何をしたいのか、明確にしていかなければいけないな〜と自分探しをする事にしました。今回はマズロー自己実現論を紹介させていただきます。

目次

マズローの欲求段階

・生理的欲求と安全の欲求

・生理的欲求と安全の欲求を満たせば天国か?

・ストレス社会で鬱にならないためには?

承認の欲求と鬱

自己実現の欲求と自己超越

マズローの欲求段階

心理学者のアブラハム・マズロー(1908-1970)は、米の心理学者で「欲求の段階」を提唱しています。

全ての人間は欲求を持っていますよね。おいしいご飯を食べたい、遊園地に行って遊びたい、仕事で活躍したいと人それぞれ異なるわけですが、人間の欲求を5種類に分類してピラミッド構造化し、下から達成されるごとに次のステップに以降するのでは?と考えたのがマズローです。

生理的欲求と安全の欲求

全て人間はPhysiological:生理的欲求から始まります。日本でいう三代欲求がここに含まれます。人間が生物である上で肉体を維持するために必要な呼吸、食事、水分補給、睡眠、ホメオスタシス(体を健康な状態に保とうとする能力)などいわゆる食欲や睡眠欲、種を残すための本能である性欲などが含まれます。これらは動物的本能のように思いますが、唯一extercion(努力)が含まれるのは意外です。

 

Safety:安全の欲求

食事や睡眠を手に入れて生物的に生きる事ができるようになったとしても、周囲の環境によって危険にさらされる恐怖がつきまとってくるでしょう。安全の欲求は身体が物理的に傷つけられないことだけでなく、家族、職業、モラル、健康を守りたい欲望も含まれます。

 

生理的欲求と安全な欲求を満たせば天国か?

安全的欲求と生理的欲求が満たされれば、ほとんどの人間は幸せになれるのではないかとも思うんです。別に最低限生きられるだけの食事をとって、猛獣がいない、自然災害の影響も受けづらい場所に家を作って、人間同士の争いもないような、、縄文時代ってこんな世界だったら戻りたいな、、とか思ったりもします。現代でも田舎にこもって自給自足!!という暮らしもまたいいのかもしれません。しかし、資本主義の世界は刺激的ですし、他者と繋がっていくためには、資本が必要。資本を手に入れるためには強力なマインドが必要。強力なマインドを手にするためには、次のステップに進む必要があるのですね。

ストレス社会で鬱にならないためには?

Love/belonging(所属と愛の欲求)

友情、家族、性、親密に対する欲求です。身体的な安全を手に入れた人間は他者との繋がりを求めます。落ち込んだ時や悩んだ時に誰かに話を聞いてもらって楽になった経験はありませんか?家族や友達、恋人などを見つけて、精神的な安全性を求める段階です。

 

精神的な繋がりがないと鬱になったり心が病んでしまうのが人間の本質です。「人間は一人では生きられない」と言います。我々が食べている食事を作る農家や酪農家の方々のおかげで食事ができるわけですし、水を飲めるように検査している浄水場の職員がいるから生きていけます。このような物理的な繋がりは資本(お金)が解決してくれる現代では、一人で生きていけるじゃん!と思うこともあるかも知れません。しかし、ふとしたときに考える寂しさや空虚感は、心から信頼した他者がいなければ払拭する事ができないように、進化、プログラムされてきたのが人間なのでしょう。人と繋がるために、大脳新皮質(脳の一番外側の部分)を発達させて、人を思いやる気持ちを手に入れたのが人間です。

 

メモ:幼少期に家族からの愛を感じられないと、暴走族に入ってしまったりと家族以外の場所に所属の欲求を求めるようになる。

承認の欲求と鬱

Esteem(承認の欲求)

他者から「あなたは価値ある存在だ」と尊重される→他人からの評価だけでなく自分自身を評価する。という2つのステップに分かれています。

 

低いレベルの承認の欲求や地位や名声を手に入れる事で満たす事ができますが、高いレベルの承認の欲求は自分の経験や理想に基づくものであり、自分には価値がないと思い込んでしまうと鬱や孤独感に繋がります。

 

メモ:子供を褒めすぎると自己肯定感は高くなるものの、乗り越えられない壁に直面した時に挫折して鬱になる可能性ある?

自己実現の欲求と自己超越

 

Self-actualization(自己実現の欲求)

自分が持っている能力を最大限活かしたい、創造的活動をしたい、目標を達成したい、自分かなりたいものになりたいとい欲求といいます。

 

また、自己実現の先の伝説の領域があるそうで、それが「自己超越」という次元です。人生を終えるときに自分自身よりも、子孫の幸福、達成、貢献を願う、鬼滅の刃の炭治郎のような欲望です。果たしてこんな人間は存在するのでしょうか。

 

自己実現の先というよりも、所属と会いの欲求が強く、家族愛の先にあるような気もしますが。

 

身の回りに炭治郎のような事故を犠牲にしてでも他者の幸せを願うような人がいる人は教えてください。

 

まとめ

自己実現の欲求が決まると人生の軸が決まるとか、時代に乗り遅れずに行動できると聞きました。でも、中には家族と幸せに暮らしたいがゴールな人もいるわけで、無理に世界を変えたい、自分の能力を活かしたい、という最終ステップに到達する必要もないのでは?と疑問に感じます。

 

むしろ自己実現欲が肥大化しすぎて、他人を倒し、不幸にするようか冷酷な行動を取るリスクもある。人間が本来持っている思いやり、所属と会いの欲求を満たす事で、承認欲求も満たしていくだけで十分なのではないか?