古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

古代史(特に縄文、弥生、古墳時代)が大好きです。

科学から宗教倫理への回帰

夏休みで実家に帰省したときに、NHKの番組「100分で名著」でヘーゲルの『精神現象学』を見ました。世界史を専攻していなかった自分にとってフランス革命を知る良い機会になりました。古代史を勉強する中で、神道や仏教が信仰されていく過程を知り、宗教の在り方について考える今日この頃、ヘーゲルの考えも一部取り入れてまとめてみることにしました。

日本人と宗教

現代の日本人は何教なのでしょうか?街行く人にアンケートをしたとすれば、無宗教と回答する人も多いのではないでしょうか。「宗教ってなんか胡散臭い」「カルト宗教が怖い」なんて言葉も聞こえてきそうで、宗教を遠ざけ、軽蔑し、恐れの対象になっているように思います。

 

ところが日本人は亡くなると寺院のお墓に入り、先祖に手を合わせますし、正月には神社に参拝する初詣するなど、宗教的な儀礼が当たり前のように私たちの生活の一部になっています。それではいったいいつから宗教を忌み嫌う現代の価値観が生まれたのでしょうか?

徳川家康は寺請制度で国民を管理した

日本人の多くは亡くなった方を寺院の敷地にあるお墓に埋葬し供養する事が多いかと思われます。このお墓に供養する文化はいつ形成されたのかといえば、400年前の江戸時代と考えられます。江戸幕府を開いた徳川家康人々を統治するシステムとして「仏教」を利用しました。

具体的には、すべての人々がいずれかの寺院の「檀家」になる事を強制し、寺院から「寺請証文」という身分証を受け取らなければならない制度です。 檀家になると、自分の所属する寺院に「お布施」を収め、葬式や法要の一切を執り行ってもらいます。この制度によって幕府は国民の戸籍を管理して寺院から情報収集する手段を手に入れる事ができます。幕府は国民を管理する機関として寺院を利用したのでした。

明治政府による神道国教化

時は流れて江戸幕府が倒され明治時代になると明治政府は日本の君主である天皇の正当性を証明するための手段として「神道」への信仰を強化する政策を行います。そのような流れの中で起こった運動が「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」です。

明治政府は神道国教化を表明し、古代から続く神仏習合が禁止しました。当時の日本では神社の中にお寺があったり、神社の神様が仏様だったりと、神道と仏教の境界線が曖昧になっていたためです。神道が保護される一方で、仏教弾圧の風潮が生まれ、各地で寺院や仏像が破壊されるなどして貴重な文化財も失われたというから残念です。

 

神道国教化は教育にも導入されていきます。国民は義務教育の中で、『古事記』『日本書紀』で伝えられる日本の創世神話から、現代の天皇まで続く歴史を教育されました。第二次世界大戦においてはこの教育が加熱した結果、「天皇天照大神の子孫であり、現人神である」「神の国日本に命をささげるべし」という考えが蔓延し誰も逆らえない空気が生まれてゆきます。その結果として神風特攻隊のような悲劇が生まれてしまったと考えます。

無宗教国家への歩み

戦争に敗れた日本はGHQ統治下の元、日本国憲法が発布されます。明治政府によって作成された大日本帝国憲法では、国家の主権が天皇にあることや、天皇の地位は神聖なもので、侵すことはできない、と定められ、天皇は文字通り日本の君主でした。一方で日本国憲法には第一章で天皇とは何か?が記載されています。

 

日本国憲法 第一章 天皇

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 

戦後の日本国憲法においては日本の君主であった天皇が国民の象徴に変更されている事がわかります。GHQ天皇が現人神である事を否定する人間宣言を行うなどして徹底的に天皇が神であるという日本人の価値観を破壊していきます。神道によって保障されていた「日本の君主としての天皇」の正当性が否定され、教育現場における神道を中心とする歴史教育も改革されました。これによって現代の日本人は『古事記』や『日本書紀』の神話の神々を知りません。祖父や曽祖父が行ってきた儀礼だけが漫然と続られた結果、お正月に初詣でに行きながら、自分は無宗教だと主張できる現代の日本人が誕生しました。

 

しかし、世界に視野を広げてみますと、宗教への信仰心の低下は日本だけではなく、フランス革命の時から始まった世界的な潮流のようなのです。その背景には科学技術の発達によって人々が宗教を信仰せずとも幸せな人生を歩めるようになったことが考えられます。

宗教と科学は対立するのか?

フランス革命では民衆が自由を手にするために立ち上がる中で、宗教的な権威を打倒する対象としました。支配者達が支配体系が正当である根拠として宗教的な価値観を用いたためです。民衆は宗教によって裏づけられた権威を論破するために科学的、エビデンスベースである事を要求しました。フランス革命の中には「科学の力によって宗教は不要となった」という信念があったように思われます。果たして科学の力で宗教は不要となったのでしょうか。

 

宗教と科学の対立について『戦国と宗教』著者 神田千里さんは次のように説明します。

 

ここ数年日本を襲う自然災害は、現代科学の不完全さ、心もとなさを我々に教えてくれた。現代の科学をもってしても人類は地震津波、噴火、台風による被害を避けることはできないし、コロナウィルスのような感染症、人々を襲う病を予防する医学を手に入れてはいない。科学の発達が全ての問題を解決することは証明されていない。

 

科学を発展させた現代において、人知を超えた大きな力への信仰がなくなったわけではない。現代的高層建築現場でも竣工までの無事を祈願して神官が儀式を行うし、大学医学部の解剖実験用の遺体に対して鎮魂儀礼が行われ、先端医学を研究する生化学者達は命を奪った実験用動物の慰霊祭を行っている。科学が完全でない以上、現代人も科学の力が及ばないところで、神仏の力にすがらざるをえないのである。

 

科学の発展によって豊かさを享受した我々は、真夏の炎天下の日もエアコンの効いた部屋で快適に過ごす事ができます。しかしエアコンを使用する我々はリモコンのスイッチを押す事はできても、エアコンの仕組み理解し一から作り出すことはできません。科学が発達すれば、さらなる豊かな生活や幸福を追求できると妄信している状態はある種の信仰のようにも感じられます。

 

科学は信仰の行き過ぎが指摘され、科学に対する不安が駆り立てられる現代において、宗教的信仰への極端な揺り戻しが起こる可能性をはらんでいるのではないでしょうか。一昔前の信仰とは何かを学ぶ事でこの先の未来を予測し備えることもできるのではないでしょうか。

物質的豊かさと精神的豊かさ

科学技術の発展は間違いなく人間を豊かにしてきました。先進国では欲しいものが欲しい時に手に入るし、食べ物は食べきれない程豊富にあります。少なくとも我々が住む日本では、科学のおかげで物質的に十分に満たされた世界となっています。人々は無意識的に科学のお陰で不安がなくなり生きていけると信じ始めていましたが、物質的な豊かさだけでは幸福感を得ることができない事に気づき始めているようにも思えます。

 

科学技術が物質的な豊かさや生活の便利さをもたらしました。その成功体験からか科学技術は宗教倫理の力を借りなくても人々の幸福を高められると過信してしまいました。その結果、精神的豊かさや精神的満足への探究を疎かにしてきたのではないでしょうか。

 

物質的豊かさは一時的に幸福感をもたらすが、もっと欲しいという欲望を刺激し、増大させていくきます。それによって人は慢性的な欠乏感に苛まれるようになります。生活の便利さは、その背後にある効率性、迅速性が人々を支配するようになり、人々は慢性的な脅迫感や焦燥感に陥るようになりました。すなわち、科学技術は精神的満足をもたらさないことを我々は自覚しはじめているのです。

 

物質的に満たされた世界で精神的豊かさを手に入れるためには?

古代ローマ奴隷制においては奴隷は衣食住が保障される代わりに労働が義務づけられました。その人生に自由な活動時間はありません。ヘーゲルが「世界の歴史は自由を求めて成長している」と述べたように、現代においては多くの人が衣食住と自由な時間、余暇を手に入れることができました。これは科学と法の発展によって獲得されたものです。万人が自由な時間を手に入れた現代においては、その空白の時間をどのように過ごすべきか考えるようになります。古代において貴族達が哲学や芸術に時間を捧げたように、現代の我々は与えられた時間をどのように過ごすか、自由を追求する権利が与えられていると言えるでしょう。

 

上記をふまえると、なぜ今ビジネスの現場でしきりにWill(人生の羅針盤)を探す事が求められているのか、にもつながってきます。衣食住を確保するために労働するだけならば、それは奴隷と同じかもしれません。インターネットの発達によって自分の情熱を捧げることにエネルギーを使い金を稼ぐ事もできる時代になりました。今後AIの発達によりますます人間が、苦痛を伴う単純作業はAIが代替できるようになっていくでしょう。では人間がAIに勝る能力とはなにか、自分の精神的満足度の高い労働によって達成感ややりがいを感じる事なのではないでしょうか。幸福になりたければ、自分の情熱を捧げるものを見つける必要があるのではないでしょうか。

 

参考文献