古代史好きな28歳サラリーマンのブログ

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封神演義の太公望はいつの時代?

国史上最初の軍師と呼ばれる太公望(たいこうぼう)についてまとめます。

 

太公望は最初の軍師か?

太公望は3000年前の人物で、殷が滅亡し周が成立した「殷周革命」のときに、周の文王、武王2代にわたって軍師として仕えた革命の立役者と言われています。

しかし、太公望が実在したかは不明でこの時代に「軍師」がいたのかもよくわかっていないようです。

軍師といえば三国志諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が有名であるように、「軍師」というポジションが生まれたのは三国志が始まりとされています。

 

14世紀明(みん)の時代に『三国志演義』がかかれた頃『封神演義』にも軍師を登場させようと想像されたのが太公望ではないかとも言われています。

 

太公望とは?

封神演義より

太公望の名は呂尚(ろしょう)と言い、「呂」は地名からきています。

 

呂尚の先祖は夏王朝の始祖、禹(う)の黄河の治水事業を助けた地方長官だったとされています。禹は黄河の治水工事の功績から三皇五帝の最後の帝舜から帝を譲られた人物です。太公望の先祖一族は「呂」に住んでいたため呂尚と名乗っているのです。

狩に出た文王が釣りをしていた呂尚と出会ったという逸話から釣り人の事を「太公望」と呼ぶこともありますね。

 

文王がなくなる、呂尚は文王の子姫発(きはつ)に仕え、殷との戦いを軍師としてサポートします。

 

牧野の戦い(ぼくやのたたかい)で殷の帝辛(紂王)と周の姫発を中心とした勢力が牧野で争った戦いで、周軍が勝利し約600年続いた殷王朝は倒れ、周王朝が天下を治めることになりました。

周王朝による統治

周の姫発は武王として即位します。周は 鎬京 (こうけい)を都とし、 渭水 (いすい)という場所に誕生しました。

周は 封建 ( 封建制 )と呼ばれる統治体制をとりました。 周の王は、自分の一族などに 封土 と呼ばれる領土を与え、世襲の 諸侯 とします。 そして 各地の統治を諸侯に任せた のです。

 

日本でいう都道府県知事を総理大臣の一族が任命され、子に世襲していくイメージです。

世界の歴史まっぷより

呂尚は功績から東の黄海に突き出た山東半島の土地を与えられます。後に春秋戦国時代の「斉(せい)」の元となっていきます。